【日産】プリンス・スカイライン/スカイウェイ(2代目S50/W50/V50型)

初代の高級セダン路線から、小型ファミリーセダンとして生まれ変わった2代目スカイライン日本グランプリに向けて作られたスカイラインGTが活躍し、「スカG」として人気を得ました。

スカイラインの「羊の皮を被った狼」としての始まりでした。

 

 

 


【プリンス・スカイライン/スカイウェイ(2代目S50/W50/V50型)の歴史】

 

 

1957年にデビューしたスカイライン(初代LSI/S2型)は、トヨペット・クラウン(初代RS/S20/S30型)に対抗して開発された高級セダン。1959年からは、上級車種としてグロリア(初代LSI/S3型)も派生し、プリンスの高い技術力によって、成功を収めました。

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グロリアは、1962年にフルモデルチェンジとなり、2代目S40型に移行。フラットデッキスタイルを持つ新たな高級セダンに生まれ変わりました。
1年遅れてフルモデルチェンジとなったスカイラインは、高級車路線をグロリアに譲り、量販型の小型セダンとして再スタート。

駆動方式はコンベンショナルなFRを踏襲し、セミモノコック構造からフルモノコック構造に進化しました。
サスペンションは、フロントにダブルウィッシュボーン式の独立懸架、リアにはリーフリジッド式の車軸懸架を採用。

エンジンは70psの「G1型(直列4気筒OHV・1484cc)」で、当時の欧米で本格化しつつあったメンテナンスフリー化を進めたもの。金属の表面処理や材質の品質向上の結果、4万kmまたは2年間保証を謳い、ヘッドには封印を付けて頻繁に分解整備を要さないことをアピールしました。

 
 
 
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小型化したボディは、全長4055mm×全幅1495mm×全高1410mmで、トヨペット・コロナ(2代目T20型)やダットサン・ブルーバード(2代目410型)と同等サイズ。丸みを帯びたスタイリングだった先代から一転し、時代に即したスクエアなものとなり、典型的な3ボックススタイルに生まれ変わりました。
ボディバリエーションは4ドアセダンのほかに、ステーションワゴンエステート)を用意。商用バンは、先代同様にスカイウェイとしてラインナップされました。

当初は「デラックス」のみのモノグレードで、1963年9月に発売。半年後の1964年4月には、廉価グレードの「スタンダード」も追加されました。
スカイウェイは当初「スタンダード」のみでしたが、後に「デラックス」が追加され、エステートに準じる装備が備えられました。

1964年5月に開催された第2回日本グランプリのGT-Ⅱクラスに、スカイラインが7台参戦。
前年の第1回にもプリンスはスカイラインスポーツで参戦していましたが、惨敗を喫していました。メーカー間で結ばれた協定(メーカーがチームを編成しないこと、メーカーが改造に関与しないこと)を、他メーカーは守らず秘密裏にチーム編成やチューニングを施していた中、プリンスだけが真面目に守って参戦したため、敵うはずもありませんでした。

技術の高さで売ってきたプリンスにとっては屈辱的な敗北であり、第2回に向けて準備をスタート。モデルチェンジとなったスカイラインに、グロリア用の6気筒2.0Lエンジンを搭載する案が提案され、これを実現するためにロングノーズ化を決断。
ボンネットとフェンダーは2台分のパネルを使って溶接して200mm延長し、「G7型(直列6気筒SOHC・1988cc)」を搭載しました。
ホモロゲーション用に100台を生産する必要があり、職人総出で手作業で生産され、レース用に8台、残りの92台が「スカイラインGT」として一般販売されました。
キャブレターはウェーバー製が3連装されて150ps以上を発揮し、テストを重ねて足回りの見直しやLSDの追加などを実施。

スカイラインの勝利を確信した矢先、最新モデルのポルシェ・904GTSの参戦が決定。これには様々な説がありますが、スカイラインに勝てるクルマが自社になかったトヨタが、プリンスの勝利を阻止しようと裏でポルシェを手配し、トヨタと関係のあったドライバーに出場させたという噂が流布。180psを発揮するスポーツエンジンをミッドシップに搭載し、最高速度は260km/hを記録する怪物に、急ごしらえされたスカイラインが敵う相手ではありませんでした。

しかしレースでは、6周目にドラマが起きました。ポルシェが周回遅れのトライアンフに手間取っている隙に、スカイラインGTがポルシェを抜きトップに立つと、そのままポルシェを従えてホームストレートを疾走。メインスタンドの観衆は総立ちで、大歓声が沸き上がったのです。
その後、当然ながらポルシェが抜き返して優勝しましたが、スカイラインの健闘を称える声が止まず、一躍ヒーローとなりました。

スカイラインの人気はここから急騰し、92台の一般販売はすぐ完売。その後追加販売の要望があまりにも多いことから、量産化が決定され、1965年2月に「2000GT」を発売。
手作業だったロングノーズ化はプレス化され、インパネもスポーティなものに変更、フロントフェンダーには「GT」の赤いバッジが付けられました。
量産型の3キャブレターエンジンは125psを発揮し、最高速度は180km/hをマークしました。

1965年9月には、シングルキャブ仕様で105psのエンジンを搭載した「2000GT-A」を発売。マイルドなGTが欲しいという声に応えたもので、青いGTバッジが付けられました。同時に、従来の2000GTは「2000GT-B」に改称。

1966年8月、プリンスは日産と合併となり、ニッサン・プリンス・スカイラインに車名を変更。

 
 
 
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1966年10月にマイナーチェンジを受け、フロントグリルが横桟デザインに変更。GT-Bはリアフェンダーブリスター化し、ワイドタイヤの装着にも対応したほか、ステアリングギア比の見直しや、LSDの採用などにより、さらにスポーティになりました。
安全面にも配慮され、前席に2点式シートベルトを装備し、シート形状にも変更が加えられました。デラックスやスタンダードのテールライトは、丸型からコンビネーションタイプに変更。
また、スカイウェイを名乗っていた商用バンは、「スカイラインバン」に改称されました。

1967年8月には、セダンデラックスのエンジンを「G15型(直列4気筒SOHC・1483cc)」に変更し、最高出力は88psにまで向上。スタンダードやエステート、バンにはG1型が継続搭載されました。

1968年8月にフルモデルチェンジとなり、「ハコスカ」の愛称で知られる3代目C10型が登場。日産製の6気筒L型を搭載したGTシリーズもラインナップされて大人気となっただけでなく、プリンスの技術陣が開発したDOHCエンジンを搭載した「GT-R」も追加されるなど、日本を代表するスポーツカーとして、不動の人気車種となっていきました。

プリンスの技術者たちが意地を見せた第2回日本グランプリによって、一躍スターとなり、人気車種に躍り出たスカイラインは、ファミリーセダンとしての役目を残しながらも、スポーツセダンとして生きる道を見出しました。
2013年に登場した13代目V37型が生産され続け、60年以上の歴史を持つモデルとなり、プリンス時代から継続している唯一の車種となりました。スカイラインGTの誕生がなければ、これほど続くモデルにはなり得なかったことでしょう。

 

 

 

 

【諸元】

 

 

 

プリンス・スカイライン/スカイウェイ(2代目S50/W50/V50型)

全長×全幅×全高 4055/4100mm×1495mm×1410/1425mm
4255mm×1495mm×1410mm(GT/GT-A/GT-B)
4235mm×1510mm×1405mm(GT-B・1966.10~)
4175mm×1495mm×1425/1435mm(エステート)
4125mm×1495mm×1445mm(スカイウェイ)
ホイールベース 2390mm
2590mm(GT)
乗車定員 5名
エンジン G1型 直列4気筒OHV 1484cc(70ps/4800rpm)
G15型 直列4気筒SOHC 1483cc(88ps/6000rpm)(1967.8~)
G7型 直列6気筒SOHC 1988cc(105ps/5200rpm)(1965.9~)
G7型 直列6気筒SOHC 1988cc(125ps/5600rpm)(1965.2~)
G7型 直列6気筒SOHC 1988cc(150ps/6800rpm)(ホモロゲーションモデル)
駆動方式 FR
トランスミッション 3MT/4MT/5MT
タイヤサイズ 5.60-13 4P
5.60-13 6P