1960年代
トヨタ・スポーツ800は、小型軽量なボディにタルガトップを備えた、トヨタ初のライトウエイトスポーツ。 「ヨタハチ」の愛称で親しまれました。 この投稿をInstagramで見る Car and Moto in Japan(@car_and_moto_in_japan)がシェアした投稿
キャブオーバー型となった2代目ハイゼットは「ハイゼットキャブ」を名付けられ、現在一般的なスタイルの軽トラックとして生まれ変わりました。 800ccエンジンを搭載するニューラインにも「ニューラインキャブ」が登場しました。 この投稿をInstagramで見る c…
四輪車市場では後発メーカーであるホンダが、初の本格的な量産型乗用車として開発したN360は、スバル・360の牙城を崩した革新的な軽自動車でした。 高性能、優れたデザイン、広い室内、低価格など、多くの点で他車を凌駕しました。 この投稿をInstagramで見…
RK型からのモデルチェンジにより、1956年から生産されたスタウトは、独立フェンダーやサイドステップを持たない、近代的な外観に生まれ変わりました。 後に世界で活躍するハイラックスシリーズの祖先とも言えるモデルを振り返ります。 この投稿をInstagramで…
先代までのFFからRRレイアウトに刷新した2代目フロンテは、スズキが本格的な軽乗用車市場への進出を狙ったモデルでした。 高性能でピーキーなスポーティモデル「フロンテSS」も登場しました。 この投稿をInstagramで見る はくちょう(@swan1100s)がシェアした…
スバル・360のコンポーネンツを流用した商用車として1961年にデビューしたサンバー。 キャブオーバー型軽商用車の走りともいえるモデルで、RRレイアウトの様々なメリットが好評で、一躍人気モデルとなりました。 この投稿をInstagramで見る Mineoka Seitaro(…
初代、2代目とライバルのブルーバードに歯が立たなかったコロナでしたが、ついにこの3代目では「BC戦争」とも呼ばれる熾烈な販売競争を繰り広げ、宿敵ブルーバードを制することに成功しました。 海外市場への輸出にも成功し、トヨタの躍進はこのコロナから始…
1965年に登場したマツダのライトバスは、当時としては異例なほどの未来的なスタイリングが特徴。 大きくA型とC型の2タイプが存在し、マイクロバス市場では異彩を放ちました。 この投稿をInstagramで見る #クロマノアトリエ(@chroma_no_atelier)がシェアした…
クラウンとともに日本の高級車市場を牽引したセドリック。1965年に登場した2代目130型では、ヨーロピアンなスタイルに生まれ変わりました。 ピニンファリーナによるその流麗なスタイリングは、国産車とは思えない上品な印象を与えました。 この投稿をInstagr…
オート三輪市場を牽引してきたマツダの集大成とも言えるモデルがT1100/1500/2000。四輪トラックへの移行が進む中で、1974年まで生産が続きました。 オート三輪の中では現存数も多いことから、昭和30年代を象徴するクルマとして、ドラマや映画にも登場するモ…
トヨタ初の大衆車として1961年にデビューしたパブリカは、低価格を実現するため、極めて質素なクルマに仕上げた結果、当初の販売は低迷しました。 その後、デラックス化やコンバーチブル追加などで息を吹き返し、一転してパブリカはヒット作となりました。 V…
マツダ初のファミリーカーとして発売されたファミリア。1963年当時の市場背景を反映し、商用バンからスタートしました。 後にセダン、クーペ、ピックアップトラックも追加してバリエーション拡大し、マツダの主力車種になりました。 この投稿をInstagramで見…
フェアレディ1500をベースに、クローズドボディを載せた2シータークーペのシルビア。流麗なスタイリングを実現したボディパネルの造形は、熟練の手作業により生み出されました。 非常に高価だったこともあり、商業的に成功したとは言えない結果でしたが、国…
三菱にとって戦後初の自社制作乗用車となった三菱・500の、モデルチェンジ版して1962年に生まれたのがコルト600。 基本構造は三菱・500を踏襲したことなどから販売は低迷し、1965年には後継となるコルト800が発売となり、短命に終わりました。 この投稿をIns…
欧州風なスタイリング、広い室内空間、快適装備などを備え、販売に苦しんだ初代モデルから一転した2代目トヨペット・コロナ。 しかし、耐久性に乏しいと不評を買ってしまい、販売面ではダットサン・ブルーバードを前に歯が立ちませんでした。 この投稿をInst…
初代の高級セダン路線から、小型ファミリーセダンとして生まれ変わった2代目スカイライン。日本グランプリに向けて作られたスカイラインGTが活躍し、「スカG」として人気を得ました。 スカイラインの「羊の皮を被った狼」としての始まりでした。 この投稿をI…
日産・ダットサントラックの独占状態だった小型ボンネットトラック市場に、いすゞが投入したのがワスプで、ベレット同じフロントマスクを持つことが特徴でした。 ライトバンのベレットエキスプレス共々、市場参入を目指した意欲作でしたが、残念ながら販売は…
ボンネットトラックからキャブオーバートラックへ移行した過渡期に登場したキャブオール。 頑丈で快適でたくさん積めるトラックとして、ユーザーが求める姿を実現しました。 この投稿をInstagramで見る goodoldminorcars(@goodoldminorcars)がシェアした投稿
世界初の量産型ロータリーエンジン搭載車として知られるコスモスポーツ。 マツダが社運をかけて挑戦したロータリーエンジンの開発は、困難を極めましたが、1967年に市販にこぎつけた、意欲作でした。 この投稿をInstagramで見る Ретро автомобили/Classic ca…
初の本格的国産量産車だった初代モデルのクラシカルなデザインから一転し、アメリカンなフラットデッキスタイルに生まれ変わった2代目クラウン。 静粛性と低振動を実現したX型フレーム+モノコックボディの組み合わせは、1990年代まで続くクラウンの伝統とな…
商用バンのみに絞られて発売された2代目スズライトは、よりスタイリッシュなデザインに変貌を遂げて好調な販売を見せ、乗用車仕様のスズライトフロンテを派生させました。 アルト登場までの間、スズキを代表するモデルだったフロンテの誕生を振り返ります。 …
トヨタ・カローラや日産・サニーと同じ大衆車クラスにスバルが投入した1000は、安定した走りと豊かな室内空間を追及した、スバルらしいこだわりの1台。 前輪駆動と水平対向エンジンという、現代にも通じるスバルのアイデンティティを生み出しました。 この投…
1960年代、国産のショーファードリブンカーの要望が強くなる中で、日産が1965年に発売したのがこのプレジデント。 トヨタ・センチュリーと競合する、長い歴史が始まりました。 この投稿をInstagramで見る 清岡裕次 yuji kiyooka プリン職人 カメラマン(@ma…
三菱初の軽乗用車として1962年に発売されたミニカは、三菱らしい堅実な、FRレイアウトの3ボックスセダンでした。 当時としては長い約7年もの間生産されたロングセラーモデルとなりました。 この投稿をInstagramで見る DINO208GT4(@saba_vzb10405)がシェアし…
スポーツカー市場に期待を込めた日産が作り上げた、渾身の本格スポーツカー。第1回日本グランプリで優勝したことでも有名で、国産車最速の称号を得ました。 最終型の2.0Lモデルは特にスパルタンな走りでファンを魅了しました。 この投稿をInstagramで見る @c…
オート三輪市場の大手メーカーだったダイハツが発売した、軽三輪トラックのミゼットは、零細商店の物流事情を変えた、昭和の小さな大物。 リアカーやバイクだった荷運びが、軽トラックへと変化した瞬間でした。 この投稿をInstagramで見る Hiro928(@hiroto_9…
R360クーペで軽乗用車市場に進出したマツダが、市場を席巻していたスバル・360に対抗すべく、新たな主力車種として開発したのがキャロル。 クラス唯一の4気筒エンジンや、4ドアモデルのラインナップなど、実力派の軽サルーンでした。 この投稿をInstagramで…
プリンス・スカイラインの上級版の位置づけでデビューした初代グロリアは、国産量産車では戦後初の3ナンバー車となりました。 後に日本を代表する高級車の1つとなるグロリアの登場を振り返ります。 この投稿をInstagramで見る Takeru(@takeru_skyway)がシェ…
軽商用車のニーズが三輪から四輪に代わり始めた1960年頃、スズキもその商機を逃さぬように開発したのがスズライト・キャリイ。 ライバル各車に比べて圧倒的に広い荷台を備えたことが最大の特徴でした。 この投稿をInstagramで見る car kuruma boo(@car_kurum…
三菱が1964年に発売したフラッグシップセダンのデボネア。大きくて豪華に見せたその個性的なデザインは個人ユーザーには敬遠され、三菱グループのショーファードリヴン需要に終始しました。 常に芳しくない販売状況を表すかのように、1986年まで約22年に渡っ…