【マツダ】ライトバス(AEVA型)
1965年に登場したマツダのライトバスは、当時としては異例なほどの未来的なスタイリングが特徴。
大きくA型とC型の2タイプが存在し、マイクロバス市場では異彩を放ちました。
【マツダ・ライトバス(AEVA型)の歴史】
日本におけるマイクロバスの歴史は、2t積級のトラックシャシーに、バスボディを架装したのが始まり。1958年発売のプリンス・クリッパーをベースにしたライトコーチ、後にエコーに改称する1959年発売の日産・キャブオールマイクロバス、後にジャーニーとなる同じく1959年に発売されたいすゞ・エルフマイクロバス、1960年に登場した三菱・ジュピターをベースにしたローザ、1961年に発売されたダイハツ・ベスタをベースにしたライトバス、1963年登場の三菱・キャンターをベースにしたライトローザ、1963年発売のトヨタ・ダイナをベースにしたライトバスなど、乗車定員30人未満のマイクロバスが1960年前後に世に放たれていきました。
ホイールベースの違いによる車体サイズのバリエーション、それに伴う乗車定員の違いなど、様々なマイクロバスが当時から存在し、そのほとんどが特装車の一種として生産されていましたが、幼稚園バスや各種送迎バスなどの用途により需要が拡大すると、量産車種に移行し、マイクロバスという1つのジャンルとして確立していきました。
ライバル各車から遅れること1965年に発売されたのがマツダ・ライトバス(AEVA型)で、ベースになったのはやはり2t積級トラックのE2000(EVA型)でした。トラックベースのシャシーは当然のことながらラダーフレームで、サスペンションは前後ともリーフリジッドの車軸懸架式。
搭載されたエンジンは「VA型(直列4気筒OHV・1985cc)」で、最高出力は81ps。当初はこのガソリンエンジンのみがラインナップされました。トランスミッションは4速MT。
アルミと鋼板が用いられたボディは川崎航空機工業製で、なんといっても特徴的なのは前後の丸みを帯びた曲面デザイン。非常に大きな曲面ガラスを大胆に使用し、宇宙船を思わせるように未来的なものでした。ライト類の配置はその後のロードペーサー(RA1型)を想像させる丸形4灯式。
ボディサイズは全長5995mm×全幅2025mm×全高2320mm。
標準車のA型は25人乗りで、B型と呼ばれる22人乗り仕様もラインナップされました。乗降ドアは車体左側の1ヶ所のみで、運転席ドアは設けられていませんでした。
1966年に登場したのがC型と呼ばれる全鋼板ボディのもので、西日本車体工業製。A型ほどの斬新さはないものの、十分に丸みを帯びたデザインで、車体を一周するバンパーが特徴的で、フロントのランプ類はバンパー下に配置されたデザイン。コンポーネンツは基本的にA型と同一でした。
1967年、英国のパーキンスとの技術提携によりディーゼル車を追加しました。搭載されたのは77psの「XA型(直列4気筒OHVディーゼル・2522cc)」。
1972年、後継となるパークウェイ(初代AEVE型)にバトンタッチして生産終了。パークウェイは、ロータリーエンジン搭載車を発売するなどで話題となった後、2代目WVL型が1995年に生産を終え、マツダのマイクロバスの歴史に幕を閉じています。
後発となったマツダ・ライトバスは、何といってもそのデザインが最大の特徴。それゆえ、販売面では苦戦を強いられ、後継のパークウェイではオーソドックスなデザインを採用しています。
それから数十年が経ち、現在においてはその特異性からマニアの心をくすぐるクルマとなっており、数台が存在する実動車は、非常にレアな存在になっています。
【諸元】
マツダ・ライトバス(AEVA型)
全長×全幅×全高 | 5995mm×2025mm×2320mm(A型/B型) |
5990mm×2040mm×2300mm(C型) | |
ホイールベース | 3095mm |
乗車定員 | 22/25名 |
エンジン | VA型 直列4気筒OHV 1985cc(81ps/4600rpm) |
XA型 直列4気筒OHVディーゼル 2522cc(77ps/3600rpm) | |
駆動方式 | FR |
トランスミッション | 4MT |
タイヤサイズ | 7.00-16 10P / 7.50-16 10P |