【トヨタ】カローラ(初代E10型)

高度経済成長の真っ只中、憧れの存在だった自家用車を現実にした立役者がカローラ。走れればいいというようなそれまでの実用性重視の大衆車とは異なり、高速巡行性能や高級感にも配慮されて開発され、日本のモータリゼーションを支えました。

世界各国で売れ続け、日本を代表する車種へと成長したカローラの、華々しいデビューを振り返ります。

 

 

 


カローラ(初代E10型)の歴史】

 

 

日本初の大衆車と言われるのは、1958年デビューのスバル・360(K111/212型)。実用性と経済性を兼ね備えた新しい軽自動車で、庶民にも手の届きそうな自動車が登場。スバルを追いかけたマツダ・キャロル(初代KPDA型)やスズキ・フロンテ(初代TLA/FEA型)、三菱・ミニカ(初代LA20型)などが1962年に登場し、軽自動車が一気に普及しました。

ほぼ同時期、小型車市場でも新たな大衆車が産声をあげ、1961年にトヨタ・パブリカ(初代P10/20型)が登場。コストダウンのために燃料計やサイドミラーさえ省略され、極めて質素な装備が仇となり、販売台数は低迷。
600cc~800cc級のライバル車は、1962年に三菱・コルト600(A13型)、1963年にダイハツ・コンパーノ(F30/40型)、1964年にはマツダ・ファミリア(初代SS/SP/MP/MS/BS/BP型)がデビュー(バンは1963年デビュー)。
三菱はコルト1000(A20型)を派生させ、ダイハツマツダは1965年に1.0Lモデルを追加し、大衆車の相場は1.0L級へと進展していました。

日本にモータリゼーションが到来した1960年代半ば、マイカーの普及が少しずつ進み、「新三種の神器(3C)」という流行語も登場し、その3Cとはカラーテレビ、クーラー、カー(自家用車)のこと。1965年には名神高速道路が開通し、高速時代も到来しました。

機は熟し、先陣を切ったのは日産で、1966年4月にサニー(初代B10型)を発売。1.0Lエンジンを搭載した2ドアセダンで、軽自動車の上級モデル並みの低価格を実現。「1家に1台」をアピールした販売戦略で、一躍人気車となっていました。

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サニーの登場から半年後の11月にカローラは発売されました。前輪には国産乗用車初のマクファーソンストラット式の独立懸架を採用し、以降他メーカーも追随し、小型車分野では一般化していくことになります。

エンジンは新開発の「K型(直列4気筒OHV・1077cc)」を搭載。当初は1.0Lで計画されていましたが、日産の競合車が1.0Lという情報が伝わり、急遽1.1Lに拡大したもので、発売後には「プラス100ccの余裕」というキャッチフレーズで販促されました。サニーの56psに対して、カローラは60psを発揮し、ここでも若干上回っていました。
トランスミッションにはフロアシフトの4速MTを採用。当時、フロアシフトはトラックのイメージが強く、乗用車はコラムシフトが多数の時代。カローラは、コストダウンを主な目的にフロアシフトとし、後年にはコラムシフトもラインナップに加えますが、ユーザーの多くがフロアシフトを選択したと言われています。

デビュー時はサニー同様2ドアセダンのみで、全長3845mm×全幅1485mm×全高1380mmのサイズ。ここでもサニーよりも少しずつ大きく設定されています。
フル装備の「デラックス」、実用仕様の「スペシャル」、廉価版の「スタンダード」の3グレード体制。

カローラが、サニーを含めたライバル車よりも上級・高級志向の方向性としたのは、トヨタが喫したパブリカでの失敗があったからでした。
「3C」に表されるように、マイカーは庶民の「夢」であり、ただ走れればいいという実用車を、市場が求めていたわけではないことが分かっていました。パブリカ発売から5年が経過し、さらにそれは加速化しており、小型車と言えども、外観や性能、そして装備などにおいて付加価値を付け、ライバル車よりも少しでも凌駕していることが、重要だったのです。
これをうまく実現したカローラは、43.2万円~49.5万円という安価な価格設定も後押しし、デビューと同時に爆発的なヒットを記録し始めたのでした。

1967年5月には、4ドアセダンと2ドアバンを追加し、バリエーションを拡大。バンは2名乗車時400kg、5名乗車時200kgの積載量で、基本的な機構はセダンと同様。個人商店などを構える家庭などには、平日は仕事に使うことが出来た上に、休日はファミリーカーとして使えるため、非常に重宝されました。
セダンのデラックスにはトリップメーターを標準装備したほか、トヨグライドの愛称が付いた2速ATを新たに設定しました。

1968年3月、安全性の向上を目的に、フロントバンパーの取付位置変更や、ダッシュボードのソフト化、メーターパネルの意匠変更と無反射ガラス採用などを実施。また、フロントディスクブレーキがオプション設定されました。

4月に発表されたのが、新たに追加されたクーペモデル「カローラスプリンター」で、紛れもなく後にカローラの兄弟車として独立するスプリンターの源流。ファストバックスタイルの2ドアクーペで、セダンと比べて35mm低い全高に設定されました。エンジンには、セダンと同様のシングルキャブ仕様に加えて、ツインキャブ仕様で73psを発揮する「K-B型(直列4気筒OHV・1077cc)」も搭載され、最高速度160km/hを実現しました。K-B型搭載の「スプリンターSL」、K型搭載の「スプリンターデラックス」「スプリンター」の3種類を設定。
同時に、セダンにもツインキャブ仕様のK-B型を搭載した「SL」を設定し、フロントディスクブレーキやタコメーターも標準装備しました。

 
 
 
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1969年2月のマイナーチェンジでは、内外装のデザイン変更のほか、衝撃吸収ステアリングやヘッドレスト、部分強化ガラスなどの安全装備を標準化。
セダンには、新たに「ハイデラックス」を追加しました。ハイデラックスには、K型の高圧縮版で64psを発揮する「K-D型(直列4気筒OHV・1077cc)」を搭載し、フロントディスクブレーキや木目インパネを標準装備しました。

同年9月には、全車のエンジンを1.2Lに拡大。シングルキャブ仕様は68psの「3K型(直列4気筒OHV・1166cc)」、ハイデラックス用の高圧縮版は73psの「3K-D型(直列4気筒OHV・1166cc」、ツインキャブ仕様は77psの「3K-B型(直列4気筒OHV・1166cc)」を搭載しました。

そして1970年5月、1月に2代目へ移行していたサニーを追いかける形で、カローラも2代目E20型にバトンタッチとなりました。カローラとサニーの熾烈な販売競争は激しく、4ドアセダンの追加はサニーが1967年4月、カローラは1967年5月。クーペの追加はサニーが1968年3月、カローラは1968年4月。先に2代目へ移行したサニーが掲げたキャッチコピーは「隣のクルマが小さく見えます」。明らかに「プラス100ccの余裕」と打った初代カローラへの反逆でした。
これ以降も、小型セダンの人気が陰る1990年代まで、この2台の販売競争は繰り広げられたのでした。

市場のニーズやユーザーの好みを汲んだクルマ造りによって、カローラは一躍ベストセラーとなり、1974年には世界生産台数1位に上り詰め、現在でも世界で販売され続け、トヨタが世界に誇れるクルマへと成長しました。
国内においても、1969年度から2001年度までの33年間に渡り販売台数1位を記録し続けた偉業は、今後も決して破られない記録かもしれません。

 

 

 

 

【諸元】

 

 

トヨタ・カローラ(初代E10型)

全長×全幅×全高 3845mm×1485/1490mm×1380mm
3845mm×1490mm×1345mm(スプリンター)
3895mm×1490mm×1400mm(バン)
ホイールベース 2285mm
乗車定員 5名
エンジン K型 直列4気筒OHV 1077cc(60ps/6000rpm)(~1969.9)
K-D型 直列4気筒OHV 1077cc(64ps/6400rpm)(1969.2~1969.9)
K-B型 直列4気筒OHV 1077cc(73ps/6600rpm)(1968.4~1969.9)
3K型 直列4気筒OHV 1166cc(68ps/6000rpm)(1969.9~)
3K-D型 直列4気筒OHV 1166cc(73ps/6600rpm)(1969.9~)
3K-B型 直列4気筒OHV 1166cc(77ps/6600rpm)(1969.9~)
駆動方式 FR
トランスミッション 2AT/4MT
タイヤサイズ 6.00-12 4P