【トヨタ】スープラ(初代A70型)

TOYOTA 3000GT」のキャッチコピーを掲げてデビューしたスープラは、セリカの上級車種であるセリカXXの後継車。

高性能エンジンを搭載した、流麗なファストバッククーペは、国産スポーツモデル黄金期を代表する1台となりました。

 

 

 


トヨタスープラ(初代A70型)の歴史】

 

 

1970年代、日産・フェアレディZ(初代S30型)が北米市場で大ヒットしました。魅力あふれるスタイリングや性能を持ちながら、欧米車に比べて格段に廉価だったことが受け、ダットサン(日産の輸出ブランド名)の名称を世界に知らしめました。

当時のトヨタのスポーツモデルはセリカ(初代A20/30型)で、1.4L~2.0L級の4気筒エンジンを搭載したスペシャリティカーで人気モデルでしたが、北米市場からは6気筒エンジン搭載車が要望されていました。
2代目A40/50型にフルモデルチェンジした翌年の1978年には、対フェアレディZを主眼に置いたセリカXX(初代A40/50型)をデビューさせ、この輸出車が「スープラ」と命名されました。高級スペシャリティカー路線だったセリカXXは、フェアレディZとは異なる性格付けがされていましたが、その路線はソアラ(初代Z10型)が引き継いだため、2代目A60型では一転スポーティ路線へ変更。
1986年にはフルモデルチェンジとなり、輸出向けと同じスープラの名称に統一されました。

シャシーソアラ(2代目Z20型)と多くを共用しており、駆動方式はコンベンショナルなFR。サスペンションには先進的な4輪ダブルウィッシュボーン式を採用し、ソアラに設定されたエアサスペンションは採用されていません。
ブレーキは4輪ディスクブレーキで、グレードによってLSDやABSが設定されました。

エンジンは全て直列6気筒で、トップモデルは「7M-GTEU型(直列6気筒DOHCターボ・2954cc)」で、電子制御燃料噴射装置や空冷インタークーラーを装備して230psを発揮し、当時は国産車最強エンジンと称されました。
2.0Lエンジンが3種類用意され、185psの「1G-GTEU型(直列6気筒DOHCツインターボ・1988cc)」、NA仕様が140psの「1G-GEU型(直列6気筒DOHC・1988cc)」、SOHC仕様の廉価モデルが105psの「1G-EU型(直列6気筒SOHC・1988cc)」。
トランスミッションは5速MTと4速ATから選択が可能でした。

全長4620mm×全幅1690mm×全高1300mmの堂々としたサイズを持つボディスタイルは、セリカXX譲りの3ドアハッチバッククーペ。
空気抵抗に考慮されたボディラインは、リトラクタブルヘッドライトの採用や、リアウィンドウの強い傾斜など、当時のスポーツモデルでは主流のデザインでした。

後部座席を備える5人乗りでしたが、スタイリングからも分かるように、後席はヘッドクリアランスは少なく、2+2の延長線程度のもの。
デジタルメーター等の先進的な装備を備えたソアラとは異なり、アナログメーターを中心としたオーソドックスなインパネで、デジタルメーターは最上級グレードにのみ設定されました。

1986年2月にデビューし、廉価グレード「2.0S」の200.9万円から、最上級グレード「3.0GTターボ」の335.5万円まで、幅広い価格設定がされました。
デビュー当初は「TOYOTA 3000GT」のキャッチコピーが掲げられ、往年の名車であるトヨタ2000GT(F10型)を彷彿とする、本格スポーツモデルであることを大きく宣言していました。

1986年6月には、前席上部をデタッチャブルルーフとしたエアロトップ仕様を追加。フェアレディZTバールーフ仕様に対抗しました。

1987年1月、輸出向けのみに採用されていたワイドボディ仕様の「3.0GTリミテッド」を追加しました。前後をブリスターフェンダーとして、より幅の広いタイヤの装着を可能とし、全幅は1765mmとなったことで3ナンバー車となりました。

 
 
 
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1988年8月のマイナーチェンジでは、フロントマスクやリアコンビネーションランプのデザインを変更。
7M-GTEU型と1G-GTEU型はハイオク仕様に変更され、それぞれ240psと210psにパワーアップとなったほか、1G-EU型は「1G-FE型(直列6気筒DOHC・1988cc」に変更され、135psとなりました。
また、3.0L車は全てワイドボディに変更されました。

同時に、全日本ツーリングカー選手権のホモロゲーションモデルとして、「3.0GTターボA」を500台限定販売。7M-GTEU型にターボAタービンを装着して270psを発揮し、専用サスペンションを装着、5速MTのみが設定され、405.1万円で販売されました。

1989年8月には、2.0Lツインターボ車にもワイドボディ仕様が追加されました。
また、3.0Lターボ車から、デジタルメーターやパワーシート、TEMSなどを省略し、価格を抑えた廉価グレードの「3.0GTターボS」を新たに設定。

 
 
 
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1990年8月に2度目のマイナーチェンジを実施。
3.0Lの7M-GTEU型は、「1JZ-GTE型(直列6気筒DOHCツインターボ・2491cc)」に変更され、当時の自主規制値である280psを達成しました。サスペンションはビルシュタイン社と共同開発した専用ダンパーを採用。グレード名は「2.5GTツインターボ」に改称されました。この2.5L車は国内専売で、海外向けには3.0L車の販売が継続されました。このJZ型エンジンは、マークⅡ系やソアラなどに搭載され、1990年代のトヨタのハイパワーエンジンとして人気を博したエンジンでした。

1991年8月には、後席3点式シートベルトやサイドドアビームを標準装備し、SRSエアバッグを全車にオプション設定するなど、安全装備を拡充しました。

1993年5月、セリカXXから数えて4代目となる、2代目A80型にフルモデルチェンジとなり、販売終了。
より本格スポーツカーの要素を強くした2代目は、3.0Lの強力なエンジンを搭載し、3ナンバー専用設計のワイドなボディは曲面を多用したグラマラスなもの。モータースポーツでも大いに活躍し、280psクラスのライバル他車としのぎを削りました。

ハイパワー競争となっていた1980年代の国内市場。280psクラスの本格スポーツモデルが多く登場する中で、スープラはその時代を象徴する代表的なモデルとなりました。
高性能だったことに加え、セリカXXから脱却したことが、イメージ戦略の上でも功を奏したのでした。

 

 

 

【諸元】

 

 

 

トヨタスープラ(初代A70型)

全長×全幅×全高 4620mm×1690mm×1300/1310mm(標準ボディ)
4620mm×1745mm×1300mm(ワイドボディ)
ホイールベース 2595mm
乗車定員 5名
エンジン 1G-EU直列6気筒SOHC 1988cc(105ps/5200rpm)(~1988.8)
1G-FE型 直列6気筒DOHC 1988cc(135ps/5600rpm)(1988.8~)
1G-GEU型 直列6気筒DOHC 1988cc(140ps/6400rpm)(~1988.8)
1G-GEU型 直列6気筒DOHC 1988cc(150ps/6400rpm)(1988.8~)
1G-GTEU型 直列6気筒DOHC ICツインターボ 1988cc(185ps/6200rpm)(~1988.8)
1G-GTEU型 直列6気筒DOHC ICツインターボ 1988cc(210ps/6200rpm)(1988.8~)
1JZ-GTE型 直列6気筒DOHC ICツインターボ 2491cc(280ps/6200rpm)(1990.8~)
7M-GTEU型 直列6気筒DOHC ICターボ 2954cc(230ps/5600rpm)(~1988.8)
7M-GTEU型 直列6気筒DOHC ICターボ 2954cc(240ps/5600rpm)(1988.8~1990.8)
駆動方式 FR
トランスミッション 4AT/5MT
タイヤサイズ 195/60R15
205/60R15
215/60R15
225/50R16