【日産】ダットサン・サニー(初代B10/20型)

1966年に登場したトヨタ・カローラと日産・サニーの2台は、日本にマイカー時代を到来させた立役者。日本のモータリゼーションを支えたこの2台の戦いは、デビューと同時に始まりました。

カローラより半年早くリリースされたサニーの戦いはいかに。

 

 

 


ダットサン・サニー(初代B10/20型)の歴史】

 

 

1960年代、実用性と経済性を兼ね備えた軽自動車が、自家用車として普及。小型車市場では、トヨタ・パブリカ(初代P10/20型)やマツダ・ファミリア(初代SS/SP/MP/MS/BS/BP型)など、600cc~800cc級のモデルが登場し、それらは徐々に1.0L級へと進展していきました。

日産は、ダットサン・ブルーバード(初代310型)で大成功を収めており、2代目410型は不評ではあったものの、小型車市場では一定の地盤を築いていました。そのライバルであるトヨペット・コロナ(3代目T40/50型)とは「BC戦争」を繰り広げ、かつて1.0L級だった排気量は既に1.2L以上を主力とするモデルへと移行しており、日産は1.0L級のエントリーカーが空白地帯となっていました。
ライバルのトヨタが、先述のパブリカで一定の成功を収めている中、日産がエントリークラスの新モデルとして開発したのが、このサニーでした。

エンジンは新設計された「A10型(直列4気筒OHV・988cc)」で56ps。軽い車両重量のおかげもあり、最高速度は135km/hを実現し、大衆車として十分なスペックでした。このA型エンジンは実用性に優れる傑作エンジンとされ、長年製造されるロングセラーとなりました。組み合わせられたトランスミッションは、3速コラムMTの1種類のみ。

直線的でシンプルなスタイリングで、ボディサイズは全長3800mm×全幅1445mm×全幅1345mm。当時の小型車では一般的だった2ドアセダンでデビューしました。
丸型2灯式の間をグリルで繋ぐシンプルなフロントマスクに、横型のテールランプの間にナンバープレートを配するリアデザインなど、まさにオーソドックスなデザイン。

当初から2ドアバン(リアゲートを持った3ドア)も発売されており、セダンと同じA10型を搭載。平日は業務用に、休日はファミリーカーとして使用できるため、個人商店などに重宝されました。

1965年12月、日産初の車名公募キャンペーンを実施し、約800万通の応募の中から決定された「サニー」。
1966年4月に販売が開始され、「スタンダード」と「デラックス」の2グレード体制でスタート。スタンダードが41万円、デラックスが46万円と非常に安価で、軽自動車の上級グレードに匹敵するほどでした。この価格設定も功を奏し、好調な販売を見せ、「1家に1台」のマイカー時代がついに到来したのです。

しかし半年後の1966年11月、トヨタが満を持してデビューさせたのがカローラ(初代E10型)。エンジンは60psの1.1Lを搭載、全長3845mm×全幅1485mm×全高1380mmと、全てにおいてサニーの少し上。キャッチフレーズは「プラス100ccの余裕」で、まさにサニーに対してのものでした。大衆車と言えど、性能や外観、装備などで付加価値を付けたことでカローラは爆発的なヒットを記録し始め、サニーを大きく凌駕する人気を獲得してしまったのでした。

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サニーは1967年2月にモデルバリエーションを拡大し、ピックアップトラックを追加。日産の型式規則に則り、十の位が商用車は2となるため、B20型となりました。小型トラックでは一般的な、キャブと荷台が分かれていないワンピースボディを採用。セダンと同じA10型が搭載され、このクラスとしては高性能であったことと、36.5万円という低価格によって大人気を博しました。
ライバルのカローラには、ピックアップはラインナップされていないばかりか、まだこの時点ではバンも発売されておらず、商用モデルではサニーが一歩リードしていました。

1967年4月には、4ドアセダンを追加しました。さらに、デラックスに4速フロアMT仕様の「スポーツ」シリーズを追加したほか、3速AT車も追加。
カローラより一足早くバリエーションを拡充しましたが、翌月にはカローラにも4ドアモデルと2ドアバンが追加されており、販売競争は激化していきます。

 
 
 
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1967年7月にはマイナーチェンジを受け、フロントグリルなどのデザインを変更。

1968年3月にはファストバックスタイルの2ドアクーペを追加しました。セダンと同じホイールベースながら、全長は30mm短く仕上げられていますが、フロントオーバーハングは長く、リアオーバーハングは短くされており、ファストバッククーペとしてのバランスが取れたスタイリングを持っていました。
A10型エンジンも改良されて60psを発揮し、トランスミッションは4速MTと3速ATの設定。「デラックス」のみのモノグレードで、フォグランプや砲弾型ミラー、タコメーター、木目シフトノブ、専用シートなどがオプション設定されました。
しかしここでも、翌月にはカローラのクーペモデル「スプリンター」が発売され、しのぎを削ることになりました。

1968年10月のマイナーチェンジでは、テールランプのウインカーを独立させ、フロントグリルを横基調のものに変更。
1969年8月には上級グレードとして「GL」を追加しました。

そして1970年1月、カローラに先行して2代目B110型へモデルチェンジ。
1969年9月にカローラは全車1.2Lに拡大しており、これに対抗するにはフルモデルチェンジが必要でした。この時、サニーは「隣のクルマが小さく見えます」とキャッチコピーを打ち出し、かつて「プラス100ccの余裕」とコピーを掲げたカローラに対して反逆。これ以降も、1990年代までの長い間、この2台の熾烈な販売競争は続きました。

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カローラと共に、大衆車を根付かせ、日本のマイカー時代到来を支えたサニー。初代カローラの販売台数は約77万台、初代サニーは約45万台と、販売面ではカローラの圧勝となりました。
しかし、いつも先行したのはサニーであり、カローラは後追い。痒い所に手が届いたカローラが勝ったのは必然だったのかもしれません。

 

 

 

【諸元】

 

 

ダットサン・サニー(初代B10/20型)

全長×全幅×全高 3800/3820mm×1445mm×1345mm(セダン)
3770mm×1445mm×1310mm(クーペ)
3800mm×1445mm×1385mm(バン)
3815mm×1450mm×1385mm(トラック)
ホイールベース 2280mm
乗車定員 2/5名
エンジン A10型 直列4気筒OHV 988cc(56ps/6000rpm)
A10型 直列4気筒OHV 988cc(60ps/6000rpm)(クーペ)
駆動方式 FR
トランスミッション 3AT/3MT/4MT
タイヤサイズ 5.20-12 4P
5.50-12 4P(スポーツ/クーペ)
5.00-12 4P / 5.00-12 6P(バン/トラック)