【日産】シーマ(初代Y31型)

好景気ど真ん中の1988年、日産が送り込んだ高級車シーマは、「シーマ現象」と呼ばれるほどの大ヒットとなりました。

3ナンバー専用の4ドアハードトップボディ、当時の国産最強を誇ったV6ターボエンジン、プレジデントのようなそれまでの高級車とは異なるパーソナルユースに向けた高級車ジャンルを切り開きました。

 

 

 

 


日産・シーマ(初代Y31型)の歴史】

 

 

シーマが登場する前の1980年代半ばの高級車市場を振り返ると、専属運転手がハンドルを握り、オーナーは後席に乗車する高級車(ショーファードリブン)として、トヨタ・センチュリー(初代BMC後G40型)や日産・プレジデント(2代目250型)が存在。
個人ユーザー向けには、言わずと知れたトヨタ・クラウン(7代目S120型)や日産・セドリック/グロリア(Y30型)を筆頭に、1985年に登場したホンダ・レジェンド(初代KA1/2/4/5/6型)、1986年のFMCで車格を上げたマツダ・ルーチェ(5代目HC型)、1986年に22年振りにFMCを行った三菱・デボネア(2代目S10型)などが高級車の代表であり、5ナンバーボディに6気筒2.0Lエンジン搭載を主力モデルとしながら、ワイドボディ版に大排気量エンジンを搭載した3ナンバーグレードを設定していましたが、5ナンバーボディのバンパーのみを大型化したワイドボディがほとんどでした。

バブル景気を背景に、ユーザーの高級志向はさらに高まっていることや、自動車税の税制改革の動きがあったこと(3ナンバー車に対するハードルが低くなる)などから、日産は個人ユーザー向けの3ナンバー専用車の開発に乗り出すことになりました。
1987年6月にセドリック/グロリアはY31型にフルモデルチェンジを実施。3.0Lエンジン搭載の3ナンバー車ももちろんラインナップされましたが、5ナンバーボディのバンパーを大型化し、サイドプロテクションを厚くして、3ナンバーサイズとしていました。

一方で1987年9月、最大のライバルであるクラウンがS130型にフルモデルチェンジ。クラウンのワイドボディは、フェンダーやドアを3ナンバー専用として拡幅し、さらにはトレッドも拡げた本格的な3ナンバー車としてデビュー。発売初期から、3ナンバー車を中心に販売を伸ばして大ヒットしました。

そしてクラウン発売から1ヶ月後の10月に開催された東京モーターショーに、日産はシーマを参考出品。セドリック/グロリアとは異なり、初めから3ナンバーサイズありきでデザインされたハードトップボディは、それまでの国産車の常識を覆し、大きな話題を集めました。

 
 
 
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Y31型の型式からも分かるように、ベースになったのはセドリック/グロリア(Y31型)。同じプラットフォームを使用し、ホイールベースも同一。
一方で全車4ドアハードトップのボディは全長4890mm×全幅1770mm×全高1380mmで、セドリック/グロリアとは全く異なる伸びやかなスタイリングを持ち、シンプルながら曲面を強調し、重厚感にあふれたデザイン。
塗装には4層塗り・4層焼き付けが施され、欧州の高級車並みの光沢や深みを持ち、当時の国産車にはない独特な高級感を放っていました。

搭載されたのはNAの「VG30DE型(V型6気筒DOHC・2960cc)」と、インタークーラーターボ付「VG30DET型(V型6気筒DOHC・2960cc)」の2種類。
VG30DE型はレパード(2代目F31型)やフェアレディZ(3代目Z31型)に搭載されたもので、シーマにはハイオク仕様化され、15ps向上された200psを発揮しました。
VG30DET型はシーマ用に開発され、当時国内最強の255psを誇りました。従来の高級車の概念を吹き飛ばすほどの高性能ターボエンジンは、スポーツカーも顔負け。

トランスミッションは、スノーモード付きの電子制御4速ATのみ。足回りにはビスカスカップリング式のLSDが組み込まれ、電子制御式アクティブサスペンションも設定。ブレーキは4輪Vディスクが採用され、ベースグレードを除いてABSを標準装備するなど、当時の日産の最新技術がふんだんに投入されていました。

1988年1月に販売店別に「セドリックシーマ」「グロリアシーマ」として発売されると、既に大ヒットしていたクラウンの3ナンバー車を1ヶ月後には追い抜き、いわゆる「シーマ現象」と呼ばれるほどの社会現象をもたらしました。
圧倒的なパフォーマンスのターボエンジンと、高級車らしいしなやかな足回りによって、お尻をぐっと沈めながら爆発的なダッシュをするその姿は、当時の中高年の憧れとなり、新時代のハイパワー高級車時代の幕明けとなりました。

発売当初のグレードは、NAエンジン搭載の「タイプⅠ」「タイプⅡ」、ターボエンジン搭載の「タイプⅡ-S」「タイプⅡリミテッド」の4種類。

 
 
 
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1989年8月に初のマイナーチェンジを実施。ウッドパネルがフェイクではなく漆塗りの本木になって高級感が増すなど、内外装の一部変更が実施されました。また、ライバルのクラウンに対抗すべく、ソニー製のCDチェンジャー付マルチAVシステムが装着できるようになった他、デジタルメーターもオプション設定。
さらに、インテリアに白本革を採用した「ホワイトセレクション」や、シルクウールシートを備えた「シルクバージョン」もオプションで用意されました。
後にシーマのヒット色となるライトブルーメタリックはこの時追加されました。

一方、1989年はライバルのトヨタにも動きがあり、セルシオ(初代XF10型)に先行してV型8気筒4.0Lエンジンをクラウンに搭載した「4000ロイヤルサルーンG」を8月に発売してシーマに対抗。
そして、10月にはセルシオ(初代XF10型)を発売。シーマよりもさらに大柄なボディにV型8気筒4.0Lを搭載し、シーマにとって最大のライバルとなりました。

1991年8月、セドリック/グロリアのフルモデルチェンジに伴って、2ヶ月遅れでシーマも2代目Y32型へバトンタッチ。若干大型化したボディはハードトップではなくセダンスタイルとなり、V型8気筒4.1Lエンジンをラインナップに加え、セルシオやクラウンV8に対抗。
しかしトヨタの怒涛の追い上げは凄まじく、1991年のクラウンのフルモデルチェンジに併せて登場したクラウンマジェスタ(初代S140型)や、マジェスタをベースにスポーティに仕上げたアリスト(初代S140型)などの登場により、シーマの販売台数は減少を辿ることになってしまいました。

それまでの高級車=運転手付きというイメージを覆し、ハードトップのスタイリッシュなボディにハイパワーエンジンを搭載したシーマは、好景気に後押しされて個人ユーザーが乗る高級車の新たな形を創出しました。
いつしか世の中は3ナンバー車が溢れる時代となりましたが、3ナンバーに対するイメージを変えてその1歩を踏み出したのが、このシーマでした。

 

 

 

【諸元】

 

 

日産・シーマ(初代Y31型)

全長×全幅×全高 4890mm×1770mm×1380/1400mm
ホイールベース 2735mm
乗車定員 5名
エンジン VG30DE型 V型6気筒DOHC 2960cc(200ps/6000rpm)
VG30DET型 V型6気筒DOHC ICターボ 2960cc(255ps/6000rpm)
駆動方式 FR
トランスミッション 4AT
タイヤサイズ 205/65R15
215/60R15