【スズキ】スズライト(初代SS/SL/SP/SD型)

国民車構想が提唱された1955年。軽自動車規格内で構想に合致する四輪乗用車として、初めて発売されたのが、スズライト。

庶民にはまだまだ手が届かなかい価格だったことから、決して成功例とは言えませんが、スズライトが踏み出した日本車としての第1歩は、後世に引き継がれるべき大きな1歩でした。

 

 

 


【スズキ・スズライト(初代SS/SL/SP/SD型)の歴史】

 

 

 

スズキの原点は、1909年から静岡で自動織機の製造を始めていた鈴木式織機製作所。事業拡大のために、自動車産業への進出を計画して研究を始めたのは1930年代のことでしたが、太平洋戦争の影響により、その計画は中止へと追い込まれました。
終戦後は織機の需要低迷により経営不振に陥りましたが、1952年からオートバイの開発に乗り出し、1954年には本格小型オートバイ「コレダ」を発売。徐々に自動車メーカーの道を歩み始め、鈴木自動車工業と改称したのは1954年6月のことでした。

この頃の日本の乗用車は、提携した欧米メーカーから部品を輸入して組み立てるノックダウン方式が主流。これを徐々に国産部品に置き換えて、純粋な国産車を生産しようとしていた、まさに発展途上でした。
軽自動車規格も既に存在していましたが、本格的に製造販売を行うメーカーは存在せず、中小メーカーが細々と製造するに過ぎませんでした。軽自動車規格の中で、量販する乗用車を製造することは不可能とまで考えられていました。

社内に「四輪研究室」を1954年1月に設置し、手探りで研究開発を始めたスズキは、フォルクスワーゲン・ビートル、ルノー・4CV、ロイト・LP400、シトロエン2CVの4台を購入。織機製造の技術や設備の中で製造しなければならなかったため、なるべく簡単に製造ができることが開発の条件。また、日本の軽自動車規格にも比較的近いサイズであったことから、ロイト・LP400が参考車として選ばれました。LP400は、2ストロークエンジンを横置き搭載したFFレイアウトで、シャシーは簡潔なバックボーンフレーム構造だったのです。

開発を開始した当初は、軽自動車規格の関係で排気量240ccで計画されました。様々な試行錯誤の末、試作車2台が完成したのは1954年9月。寸法こそ異なるものの、ボディデザインはほとんどLP400の模倣でした。
試作された240ccエンジンは非力さが目立つものでしたが、1955年4月から軽自動車規格が360ccに拡大されることが10月に決定したため、急遽360cc級に拡大することになりました。

耐久テストの後、試作車2台は東京の梁瀬自動車(現:ヤナセ)に向けて出発。試作車の判定を仰いでもらうために、静岡から自走させる大胆な策に出たのです。最大の難所である箱根の山越えでは、1台がオーバーヒートを起こすなどのトラブルもありましたが、なんとか梁瀬自動車に到着。改良点などの指摘も受けながらも、概ね高評価を与えられました。

1955年4月には試作3号車を完成させてテストを重ね、ライトバンピックアップトラックをバリエーションとして追加しました。7月に型式認定を受けて、念願の市販にこぎつけたのは10月のこと。四輪研究室が設置されてからわずか1年半の間に市販したことになります。
正確には「スズライトSF」として、セダン(SS型)、ライトバン(SL型)、ピックアップトラック(SP型)の3車種が発売され、翌月にはデリバリーバン(SD型)も追加されました。

空冷2ストローク2気筒のエンジンからは、発売時には15.1psを発揮。トランスミッションコラムシフトの3速MT。

当初の足回りは4輪独立懸架で前後ともダブルウィッシュボーン。フロントにはボールジョイントを採用していましたが、当時の道路環境では耐久性に問題があり、1956年7月からは前後ともリーフスプリングに改められました。

スズライトが発売された当時の国産車は、ノックダウン生産車やトラックを除くと、トヨペット・スーパー(RHK型)やクラウン(初代RS型)、ダットサン(110型)くらい。軽自動車に都合のいいサイズのタイヤなど存在するはずもなく、スペース効率で不利な4.00-16の大径タイヤを採用せざるを得ませんでした。その後1956年11月には、4.50-14に変更されました。

発売当初の価格は、セダン42万円、ライトバン39万円、ピックアップトラック37万円。公務員の大卒初任給が8700円にだった時代に、庶民が簡単に手を出せるものではなく、販売が振るわなかったのも当然のこと。1957年5月には、量産効果を出すためにライトバンのみに車種整理されました。

そして1959年7月には2代目となるTL型が開発され、初代モデルの生産は終了。2代目もライトバンのみが生産され、1962年からは乗用車のスズライト・フロンテ(初代TLA/FEA型)がデビュー。フロンテシリーズとして人気を生み、系譜はアルトへ引継いで現代に至っています。

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初の量産型軽自動車として記念すべき1歩を踏み出したスズライトは、残念ながら「大衆車」になることは出来ず、その悲願は1958年発売のスバル・360(K111/212型)に達成されてしまいました。
しかしながら、国産車初のFFでもあるスズライトが残したこの功績は、日本の軽自動車の原点であり、まさに産業遺産とも言えるでしょう。

 

 

 

【諸元】

 

 

スズキ・スズライト(初代SS/SL/SP/SD型)

全長×全幅×全高 2990mm×1295mm×1400mm
ホイールベース 2000mm
乗車定員 4名
エンジン 2ストローク2気筒 360cc(15.1ps/3800rpm)
駆動方式 FF
トランスミッション 3MT
タイヤサイズ 4.50-14 4P(~1956.11)
4.00-16 4P(1956.11~)