【三菱】スタリオン(A180型)

日本の各メーカーが海外進出に力を入れていた1980年代。三菱が北米をターゲットにしたスペシャリティクーペとして発売したのがスタリオン。

北米市場を意識したシャープなスタイリングに、高性能エンジンを搭載し、さらに高級車にも匹敵する豪華な装備も備えられました。

 

 

 


【三菱・スタリオン(A180型)の歴史】

 

 

北米で成功を収めた国産スペシャリティカーの元祖といえば、1969年に発売された日産・フェアレディZ(初代S30型)。競争力不足だった先代のダットサン・フェアレディ(2代目S310)とは打って変わり、欧州スポーツカー並みのスペックとスタイリングを持ったスペシャリティカーで、北米市場で大ヒット。55万台生産されたうちの8割以上が海外で販売されました。以降の1978年発売の2代目S130型や、1983年発売の3代目Z31型なども北米向けに輸出されました。

フェアレディZの成功に刺激されて発売されたのがトヨタセリカXX(初代A40/50型)。セリカ(2代目A40型)のノーズを延長して6気筒エンジンを搭載したモデルで、海外向けには「スープラ」として輸出されました。1981年発売の2代目A60型ともども、ノーズを延長したセリカの枠を脱し切れておらず、性能面でも販売面でもフェアレディZとの差は歴然でした。

1970年からクライスラー資本提携を締結していた三菱も、北米市場を意識したモデルを投入。コルトギャランGTO(A50型)やギャラン2ドアハードトップ(2代目A110型)の後継として、1976年に発売されたギャランΛ(初代A120/130型)や、1980年にモデルチェンジされた2代目A160型は、北米を意識した直線基調の2ドアクーペスタイルに角形4灯ヘッドライトを装着し、三菱・サッポロの名称で輸出されていました。とりわけ北米では、提携していたクライスラーへ供給され、プリムス・サッポロやダッジ・チャレンジャーの2代目として販売されました。
1980年代に入るとさらなる販売拡大を狙い、より一層北米ユーザーが好む車種を投入。その代表格だったのがスタリオンでした。

直線基調なスタイリングのハッチバッククーペで、大きなリアウィンドウを持ち、そこから繋がっているように見えるリアクォーターウィンドウは直線的な三角形の造形。Bピラーにはエア抜き用のルーバーを備え、ドアウィンドウは菱形のような形状が特徴でした。リトラクタブルヘッドライトを備えたフロントマスクに、大きな衝撃吸収バンパーを装着。
全長4410mm×全幅1695mm×全高1320mmと5ナンバーサイズに抑えられたサイズで、ギャランΛよりも短く広く低い、よりスペシャリティカーらしいスタイルとなりました。

搭載されたのは「G63B型(直列4気筒SOHC・1997cc)」の通称シリウスエンジン。110psのNA仕様と、主力モデルの145psターボ仕様の2種類がラインナップされました。当時の三菱は、軽自動車から高級車まで全ての車種にターボ車をラインナップする「フルラインターボ」を掲げており、スタリオンも例にもれずターボが主力となったのです。
トランスミッションは5速MTと4速ATを用意。ブレーキは4輪ディスクが採用されました。

NA車は「GX」のモノグレード、ターボ車は「GSR-Ⅰ」「GSR-Ⅱ」「GSR-Ⅲ」「GSR-X」の構成で、1982年5月にデビュー。GSR-Ⅰはパワーステアリング無しの廉価グレード、GSR-Ⅱがベースグレードでパワーステアリングやパワーウィンドウを装備。GSR-Ⅲにはデジタルメーターやオーディオシステム、オートエアコンなどが装備されました。トップグレードのGSR-Xにはクルーズコントロールを装備し、レザーシートが奢られました。
北米向けはギャランΛ同様、提携先のクライスラーへ供給され、ダッジ・コンクエストもしくはプリムス・コンクエストとして販売されました。

1983年7月には、GSR-ⅡとGSR-ⅢのMT車に、175psを発揮するインタークーラー付きのターボ仕様を追加。この時、NA仕様のGXは早々に廃止となり、全車ターボモデルとなりました。

1984年6月、日本初の可変バルブ機構を採用した、通称「シリウスDASH3×2」搭載車を追加。インタークーラーターボ付で200psを発揮し、グレードは「GSR-V」。GSR-Xは廃止され、トップグレードの座を譲る形に。また、廉価グレードのGSR-Ⅰもこの時に廃止されました。

1985年9月にマイナーチェンジを実施。ボンネットのエアスクープが廃止され、フロントバンパー下に大型スポイラーと、三分割のリアスポイラーが装着されました。

シリウスDASH3×2から改名した「サイクロンDASH3×2」を搭載し、輸出向けのワイドフェンダーを組み合わせた特別仕様車GSR-VR」を1987年2月に限定発売。全幅は1745mmとなり、3ナンバー登録となりました。

輸出向けと国内向けを統合し、コストメリットを生み出す試みを1988年4月に実施。ボディはGSR-VRのワイドボディのみとなり、全車3ナンバーに。エンジンも輸出向けに搭載されていた「G54B型(直列4気筒SOHC ICターボ・2555cc)」に統一され、事実上「2.6 GSR-VR」のモノグレード体制となりました。出力は175psと控えめでしたが、トルクは32.0kg・fを誇り、当時の4.0Lエンジンに匹敵するもの。このトルクに対応するために幅広のタイヤが装着され、フロントが205/55R16、リアは225/50R16。50扁平のタイヤを標準装備したのは、国内初でした。
ABSやLSDの他に、クルーズコントロールやオートエアコン、ステアリングスイッチ付オーディオなどの快適装備も装備されました。

主力市場だった北米への輸出を1989年に終了。後継車は、ほぼ同じボディサイズに2.0Lエンジンを搭載したエクリプス(初代D20型)。

1990年2月には、国内市場でも販売を終了。後継車として10月にデビューしたのは、全幅1840mmを誇るワイドボディに3.0Lエンジンを搭載したGTO(Z10型)。
フェアレディZが1989年に4代目Z32型となり、ツインターボによって日本初の280psを達成。各社これに追従する形で次々と280psモデルが計画される中で、三菱も新モデルとしてGTOをデビューさせたのでした。

北米市場をメインターゲットに開発されたスタリオンは、フェアレディZスープラセリカXX)、さらにはやや小型ながらマツダRX-7(初代SA22C型)など、錚々たる面々がライバルとして揃う中で、当時のスペシャリティカー人気も手伝い、一定の成功を収めました。
また、サーキットやラリーなどのモータースポーツでも活躍し、1990年代以降にGTOランサーエボリューションなどで大活躍する礎を作ったモデルでもありました。

 

 

 

【諸元】

 

三菱・スタリオン(A180型)

全長×全幅×全高 4400mm×1695mm×1320mm(ナローボディ)
4400mm×1745mm×1320mm(ワイドボディ)
ホイールベース 2435mm
乗車定員 5名
エンジン G63B型 直列4気筒SOHC 1997cc(110ps/5500rpm)
G63B型 直列4気筒SOHC ターボ 1997cc(145ps/5500rpm)
G63B型 直列4気筒SOHC ICターボ 1997cc(175ps/5500rpm)
G63B型 直列4気筒SOHC ICターボ 1997cc(200ps/6000rpm)
G54B型 直列4気筒SOHC ICターボ 2555cc(175ps/5000rpm)
駆動方式 FR
トランスミッション 4AT/5MT
タイヤサイズ 195/70HR14
215/60R15(1987.2~1988.4・GSR-VR
205/55R16/225/50R16(1988.4~・GSR-VR