【日産】プリメーラ(初代P10型)

いわゆる「901運動」を展開していた日産が、新時代の世界戦略車として開発したのがプリメーラ

欧州車を意識したクルマ作りで、先進的なミドルセダンでした。

 

 

 


日産・プリメーラ(初代P10型)の歴史】

 

 

日産のミドルセダンの中心と言えば、言わずと知れたブルーバード。特に1967年発売の3代目510型は、世界的に大ヒットを見せて大きな成功を収めました。4代目610型では、6気筒モデルもラインナップするなど、車格を上級移行し、サニーとブルーバードの間には空白が産まれました。当初は510型が併売されていましたが、その後継車として1973年に発売されたのが、バイオレット(初代710型)でした。

バイオレットが2代目A10型に移行すると、姉妹車として、スポーティなバイオレットオースター(初代A10型)と、ラグジュアリーなスタンザ(初代A10型)も登場し、北米向けには「ダットサン・510」の名称で輸出され、世界戦略車的なミドルセダンは、ブルーバードからバイオレット系へと移行しました。
その後1981年にフルモデルチェンジされたT11型からはFFとなり、サブネームが付けられたバイオレットリベルタは翌年には生産終了となりましたが、オースターとスタンザの販売は継続。
さらに1985年からはT12型が発売され、名称は国によって異なれど、世界各国に輸出されるミドルセダンとして活躍していました。

1980年代後半の日産は、901運動を展開。「1990年代に技術の世界一を目指す」ことから名付けられた運動で、ヒット車も次々に生まれていた中、オースター/スタンザの後継となる、新たな世界戦略車の企画が立ち上がりました。
美しいスタイリング、優れた居住性、高い走行性能の3つを実現するため、欧州車を参考にしたクルマ作りが行われました。

901運動によって生まれたフロントマルチリンクサスペンションは、スカイライン(8代目R32型)やフェアレディZ(4代目Z32型)に採用された技術で、これをプリメーラにも搭載し、高いハンドリング性能を実現。ハンドリングへの評価は特に高いもので、欧州車に勝るものとも評されました。

エンジンは、110psの「SR18Di型(直列4気筒DOHC・1838cc)」と、150psの「SR20DE型(直列4気筒DOHC・1998cc)」の2種類が用意され、トランスミッションは5速MTと4速ATをラインナップしました。

全長4400mm×全幅1695mm×全高1385mmのボディサイズの中で、広い居住性を実現するため、ショートノーズ・ロングデッキのスタイリングとし、クラス最大級の室内空間を誇りました。
当時は、スタイリングを重視した全高の低い4ドアハードトップが流行の中心で、ロングノーズ・ショートデッキが主流だった中では、プリメーラは異色の存在でしたが、欧州車的な洗練されたデザインによって、ユーザーには新鮮に映りました。

国内のボディタイプは4ドアセダンのみで、1990年2月にデビュー。優れたパッケージングによる居住性能よりも、固い足回りと優れたハンドリングが評価され、欧州車と対等に勝負できるクルマであると、様々な高評価が送られました。その結果、それまでのミドルセダンユーザーとは異なる、走り好きのユーザーから注目を集め、堅調な販売成績を収め始めました。

1990年10月には、4WD車を追加しました。2.0L車のみの設定で、ブルーバード(8代目U12型)に採用されていた4WDシステム「ATTESA」を採用。

1991年10月、英国で生産される5ドアハッチバックセダンの輸入を開始しました。2.0Lの「eGT」の1グレードで、4速ATのみ。ベルギー製のアルミホイールや、「United Kingdom」のデカールなどが装備されました。サスペンションのチューニングなどは基本的に欧州車用のままで、国内仕様の4ドアセダンとはひと味違う走りが楽しめました。
同時に、4ドアにも改良が入り、前後にサイドドアビームを装備し、ハイマウントストップランプも標準装備化されました。

1992年9月に4ドアセダンがマイナーチェンジを受け、1.8Lエンジンは「SR18DE型(直列4気筒DOHC・1838cc)」に変更となり、125psにパワーアップ。フロントウインカーはアンバー化されてスポーティさを演出し、2.0L車のATは電子制御化されました。
また、4WD車にのみ設定されていたトランクスルー機構やリアアームレスト、リアヘッドレストなどを、2WD車の一部グレードにも採用したほか、運転席エアバッグがオプション設定されました。
一方で、従来からのミドルセダンユーザーにも受け入れられるように、固いことが個性だった足回りのセッティングを見直し、しなやかな乗り味に変わってしまい、個性が薄くなってしまいました。

1994年2月に5ドアハッチバックがマイナーチェンジとなり、一部装備は簡略化された上で、ハイマウントストップランプや電子制御ATを採用。

1994年9月には4ドアセダンが2度目のマイナーチェンジ。運転席エアバッグを標準装備化し、助手席エアバッグをオプション設定しました。装備の簡略化が行われた一方で、全車のホイールを14インチ化。

1995年1月に5ドアハッチバックが2度目のマイナーチェンジとなり、運転席エアバッグの標準装備化や、一部装備の簡略化を実施。

1995年9月に、2代目P11型にフルモデルチェンジとなり、販売終了となりました。
キープコンセプトとしながらも、ブルーバード(10代目U14型)と基本コンポーネンツを共用するようになり、個性が薄れてしまったことで、初代ほどの人気を得ることはできませんでした。
2001年からは3ナンバー化して海外市場をより意識した3代目P12型が販売されましたが、2005年には国内販売を終了、2008年には海外向けも含めて生産を終了し、幕を下ろしました。

901運動の中で生まれた、新たな世界戦略車であるプリメーラは、街乗りには不向きとも言われるほどの固い足回りによって、従来のミドルセダンユーザーにはあまり振り向いてもらえませんでした。
しかし、その優れた性能が評価され、1990年代を代表する走りのスポーツセダンとなったのです。

 

 

 

 

【諸元】

 

 

 

日産・プリメーラ(初代P10型)

全長×全幅×全高 4400mm×1695mm×1385/1400mm
ホイールベース 2550mm
乗車定員 5名
エンジン SR18Di型 直列4気筒DOHC 1838cc(110ps/6000rpm)(~1992.9)
SR18DE型 直列4気筒DOHC 1838cc(125ps/6000rpm)(1992.9~)
SR20DE型 直列4気筒DOHC 1998cc(150ps/6400rpm)
駆動方式 FF/4WD
トランスミッション 4AT/5MT
タイヤサイズ 165SR13
185/70R13
185/65R14
195/60R14
205/50R15