【日産】プレセア(初代R10型)

4ドアハードトップの流行に合わせて登場したプレセアは、サニーをベースとし、ライバル車よりも一回りコンパクトなサイズでデビューしました。

1990年に発売した直後は好調な成績を収めるも、4ドアハードトップの衰退と共に、次第に販売は低迷しました。

 
 
 
 
 
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【日産・プレセア(初代R10型)の歴史】

 

 

1970年代頃から、国産セダン市場に4ドアハードトップの流行が訪れ、Bピラーがないことによるスタイリッシュなデザインや、開放感の高さなどから人気を得ました。
日産・セドリック/グロリアやトヨタ・クラウン日産・ローレルトヨタ・マークⅡ/チェイサーなど、高級セダンから採用が始まり、多くの車種がピラーを有する4ドアセダンと併売されましたが、パーソナルユーザーのほとんどは、よりスタイリッシュなハードトップを選択するようになりました。

1982年にダットサン・ブルーバード(6代目910型)にも4ドアハードトップが追加され、ミドルセダンへもハードトップ時代が訪れると、1985年にはトヨタ・カリーナED(初代T160型)が登場。2ドアクーペ並みに低い全高や傾斜の強い前後ピラーなど、若者向けの4ドア車であることをアピールしたカリーナEDは、絶大な人気を博しました。
その後、1988年にはマツダ・ペルソナ(MA型)、1989年にはカリーナEDの姉妹車であるコロナEXiV(初代T180型)、ホンダ・インテグラ(2代目DA5-8/DB1/2型)など、同クラスの4ドアハードトップが続々と登場しました。

そんな中で日産は、サニー(7代目B13型)をベースにしたコンパクトなハードトップモデルとしてプレセアを計画。サニーの上級版でありローレルの小型版だったローレルスピリット(2代目B12型)の後継にも位置付けられました。

基本コンポーネンツはサニーのものを流用しましたが、ホイールベースは70mm延長して2500mmとしました。
サスペンションやブレーキもサニーと同様。サスペンションはフロントにストラット式、リアにパラレルリンクストラット式、ブレーキはフロントがディスク式、リアがドラム式が組み合わされ、ABSはオプション設定でした。

搭載されたエンジンは、電子制御式シングルキャブ仕様で94psの「GA15DS型(直列4気筒DOHC・1497cc)」、シングルポイントインジェクションで110psの「SR18Di型(直列4気筒DOHC・1838cc)」、マルチポイントインジェクションで140psの「SR20DE型(直列4気筒DOHC・1998cc)」の3種類。1.5Lはサニー系から、1.8Lと2.0Lはブルーバード系から流用されました。
トランスミッションは4速ATと5速MTの2種類から選択できました。

 
 
 
 
 
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ボディサイズは全長4395mm×全幅1690mm×全高1320mm。全長はサニーよりも185mm長く設定され、同年にデビューしたプリメーラ(初代P10型)に近いサイズ。一方の全高はサニーより55mmも低く、カリーナED/コロナEXiV(T180型)と同程度に設定されました。
デザインもスタイリッシュに仕上げられており、グリルレスのデザインが特徴のフロントマスクには、楕円型凹面レンズを用いたヘッドランプが採用され、当時の大型高級セダンであるインフィニティQ45(G50型)にも通ずるものでした。

スタイリングを優先させた反面、室内は狭く、特に後席の居住性は犠牲になりましたが、そもそもファミリーカーとして計画されたクルマではないため、大きな問題点にはなりませんでした。
上級グレードにはツイード調のシート地や、マリンブルーに発光するメーターなどが採用されたほか、パワーステアリングやチルトステアリング、リア3点式シートベルトなどが全車に標準装備されるなど、コンパクトクラスとしては上級な内装が用意されました。

1990年6月にデビューし、排気量毎に「Ct.Ⅰ」と「Ct.Ⅱ」の2種類のグレードを展開。121.2万円~189.5万円の価格設定で販売を開始すると、4ドアハードトップ人気も手伝い、順調な販売成績を収め始めました。

1991年5月に、スポーティグレードの「ブラックスター」を追加しました。1.8Lと2.0Lにラインナップされ、リアスポイラーやエアロバンパーで外観を差別化し、本革巻ステアリングホイールやスポーツシートを装備しました。

さらに12月には、ラグジュアリーグレードの「ポーラスター」を1.5Lと1.8Lに追加。専用シート地や、運転席パワーシート、本革巻ステアリングホイール、CDプレイヤーなどを標準装備しました。

 
 
 
 
 
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1992年6月にマイナーチェンジを受け、1.8L車は「SR18DE型(直列4気筒DOHC・1838cc)」に変更され、125psに出力を向上。2.0Lエンジンも145psにパワーアップとなりました。
外観では、コーナーリングランプがバンパーに装着されたことにより全長が25mm延長されました。
Ct.Ⅱにスエード調シートや本革巻ステアリングホイールなどを装着した「Ct.Ⅱ Dセレクション」が追加されたほか、スポーツグレードの「Ct.S」も新たに設定されました。

1993年1月には、日産創立60周年記念の特別仕様車「セレクションS 60thアニバーサリー」を、1.5L車に設定。アルミホイールやリアスポイラーを装着し、スポーツシートや専用記念キーが用意されました。

10月にも、1.5L車に特別仕様車「セレクションV 60thアニバーサリー」を発売。オートエアコンやラジオカセット+4スピーカーなどを装備しました。これにはリアにディスクブレーキを装備した「セーフティバージョン」も設定されました。

1994年5月、1.5Lと1.8Lに、専用のモケットシートやオートエアコンなどを装備した上級モデル「SV」を新たに設定。

そして1995年1月、フルモデルチェンジを受け2代目R11型へ移行しました。8代目B14型のサニーをベースとし、初代ではあまりに狭かった後席を改善すべくサイズを拡大。従来のデザインを踏襲しつつも、全体的に大人しく生まれ変わりました。
しかし、1990年代後半ともなれば、既にステーションワゴンやミニバン、SUVが人気となっており、セダン離れが進んでいた中では販売を伸ばせず、2000年8月をもってプレセアの歴史は幕を閉じました。

 
 
 
 
 
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プレセアのように、比較的コンパクトな4ドアハードトップモデルが数々デビューするも、カリーナEDの後に続いたモデルはほとんどありませんでした。スタイリッシュさと引き換えに、室内空間が大きく犠牲になるハードトップは、そもそも小型車にはそぐわなかったのです。
その中でも一定の成績を収めたプレセアは評価すべきクルマであるとともに、いかにカリーナEDが傑作だったのかを教えてくれる気がします。

 

 

 

【諸元】

 

 

日産・プレセア(初代R10型)

全長×全幅×全高 4395mm×1690mm×1320mm(~1992.6)
4420mm×1690mm×1320mm(1992.6~)
ホイールベース 2500mm
乗車定員 5名
エンジン GA15DS型 直列4気筒DOHC 1497cc(94ps/6000rpm)
SR18Di型 直列4気筒DOHC 1838cc(110ps/6000rpm)(~1992.6)
SR18DE型 直列4気筒DOHC 1838cc(125ps/6000rpm)(1992.6~)
SR20DE型 直列4気筒DOHC 1998cc(140ps/6400rpm)(~1992.6)
SR20DE型 直列4気筒DOHC 1998cc(145ps/6400rpm)(1992.6~)
駆動方式 FF
トランスミッション 4AT/5MT
タイヤサイズ 165SR13
185/70R13
185/65R14
195/60R14