【ホンダ】プレリュード(初代SN型)

シビックとアコードの成功によって、好調な販売成績を収めていたホンダが、アコードをベースにしたスペシャリティクーペとして発売したのがプレリュード。

国外での販売が好調で、総生産台数のうち約8割が輸出されました。

 

 

 


【ホンダ・プレリュード(初代SN型)の歴史】

 

 

オイルショックと排ガス規制に苦しんだ1970年代の自動車市場。アメリカの排ガス規制であるマスキー法を、世界で初めてクリアしたのがホンダで、シビック(初代SB/SG/SE/VG型)に搭載したCVCC技術は、世界から注目されました。

1976年にはアコード(初代SJ/SM型)を発売し、ミドルクラスへも進出。このシビックとアコードの2車種は、北米市場でも好調な成績を見せており、来たる1980年代を前に、新たなジャンルとしてホンダが設定したのが、クーペモデルのスペシャリティカーでした。

アコードのコンポーネンツを多く流用しつつ、ホイールベースは60mm短縮。サスペンションは前後ともにマクファーソン式で、アコードと共通の形式でした。高速走行だけでなくワインディングでも安定した走りを見せ、当時の足回りとしては評価が高いものでした。

エンジンも、マイナーチェンジ後のアコードと共通で、CVCCを組み込んだ90psの「EK型(直列4気筒SOHC・1750cc)」。
トランスミッションには5速MTが組み合わされ、ホンダマチックも用意されました。

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

Iwasaki Yuta(@yiwsk)がシェアした投稿

ボディサイズは全長4090mm×全幅1635mm×全高1290mmで、比較的コンパクトなもの。典型的ともいえる3ボックスのノッチバッククーペスタイルを採用しました。
角型2灯式のフロントマスクは、シビックやアコードと共通性を持たせたデザインで、一目でホンダ車だと分かるもの。

1978年11月にデビューを果たし、廉価グレードを除いて電動式スチールサンルーフを標準装備。スピードメータータコメーターを同心で動作する「集中ターゲットメーター」なども注目を集めました。
ライバルのトヨタセリカ(2代目A40型)や日産・シルビア(2代目S10型)は、FRシャシーに高出力エンジンを載せた豪快なスペシャリティカーの印象だったのに対し、プレリュードはあっさりとした安定感のある走りであり、セリカやシルビアよりも高い年齢層に支持されました。

1980年4月にマイナーチェンジを受け、酸化触媒付のCVCC-Ⅱに進化。同時に、2速だったホンダマチックは、3速化されました。スチール製だった電動サンルーフはガラスサンルーフに変更。

1981年10月に再度マイナーチェンジを受け、インパネなどを変更。それまでカセットデッキ別体型だったオーディオは、DIN化されました。
新たに最上級グレード「XXR」が設定され、前輪にVディスク式、後輪にディスク式のブレーキを採用。他グレードは、前輪がディスク式、後輪がドラム式でした。

外市場では安定した販売成績を収め、総生産台数31万台のうち約8割が輸出向け。国内では、その落ち着いた印象からか、セリカやシルビアの陰に隠れてしまい、決して大成功と言える成績ではありませんでした。
そこで1982年11月に2代目AB/BA1型にフルモデルチェンジ。リトラクタブルヘッドライトの採用や、一段とスタイリッシュさが増したスタイリングなど、魅力を増した2代目プレリュードは、「デートカー」と呼ばれて大人気モデルとなりました。

シビックとアコードに次ぐ第3の柱として、スペシャリティクーペを掲げたホンダ。1980年代にはスペシャリティクーペ全盛の時代が訪れ、2,3代目プレリュードはその代名詞となりました。
初代モデルで培ったスペシャリティカー作りのノウハウが生かされた形で、ホンダの先読みが功を奏したのでした。

 

 

 

 

【諸元】

 

 

 

ホンダ・プレリュード(初代SN型)

全長×全幅×全高 4090mm×1635mm×1290mm
ホイールベース 2320mm
乗車定員 4名
エンジン EK型 直列4気筒SOHC 1750cc(85ps/5300rpm)(~1980.4・AT車
EK型 直列4気筒SOHC 1750cc(90ps/5300rpm)(~1980.4・MT車
EK型 直列4気筒SOHC 1750cc(95ps/5300rpm)(1980.4~1981.10)
EK型 直列4気筒SOHC 1750cc(97ps/5300rpm)(1981.10~)
駆動方式 FF
トランスミッション 2AT/3AT/5MT
タイヤサイズ 155SR13
175/70SR13