【マツダ】コスモスポーツ(初代L10型)

世界初の量産型ロータリーエンジン搭載車として知られるコスモスポーツ

マツダが社運をかけて挑戦したロータリーエンジンの開発は、困難を極めましたが、1967年に市販にこぎつけた、意欲作でした。

 

 

 


マツダコスモスポーツ(初代L10型)の歴史】

 

 

1965年の乗用車輸入自由化に向けて、自動車業界再編も噂される中で、乗用車市場では後発だったマツダ(当時:東洋工業)は、統合や合併の危機に迫られていました。そこでマツダは賭けに出て、ロータリー技術を確立させていた、西ドイツのNSU社と技術提携を結び、1961年からロータリーエンジンの開発に乗り出しました。

しかし、NSU社の試作エンジンはとても実用化レベルにはなく、ローターハウジング内に波状摩耗が起こるチャターマークが発生し、約40時間でエンジンが停止するなど、数々の問題を抱えた状態でした。これは気密を保持するためのシール(アペックスシール)の共振が原因で、試行錯誤が繰り返された結果、アペックスシールの先端付近に横穴と、交差する縦穴を設ける機構を生み出しました。
さらに、日本カーボンと共同開発したアルミ合金のカーボン複合素材を新開発し、これをアペックスシールに使用し、ローターハウジング内には硬質クロームメッキを施して、耐摩耗性を向上させました。

様々な問題を克服し、1963年の全日本自動車ショウ(後の東京モーターショー)には、400ccシングルローターと400cc×2ローターの2つの試作エンジンが展示されました。まだ車両の展示はありませんでしたが、既に試作車は存在しており、当時の松田恒次社長が会場に乗り付けて話題となりました。

その後、1964年から66年までの東京モーターショーに、試作車やプロトタイプが展示され、その間にのべ300万kmにも及ぶ走行テストが実施され、多くの経験が蓄積されました。

1961年にスタートしたロータリーエンジンへの挑戦は、1967年6月に実を結んでコスモスポーツが市販され、当時の国産車としては高度なスペックが盛り込まれていました。
フロントサスペンションにはダブルウィッシュボーン式の独立懸架、リアサスペンションは独立懸架ではないもののド・ディオンアクスルを採用。ステアリングにはラックアンドピニオン、ブレーキは前輪ディスクを採用しました。ブレーキは前後が独立した系統となっており、どちらかが故障した場合に備えたものでした。

エンジンは「10A型(2ローター・491cc×2)」が搭載され、110psを発揮。当時のレシプロエンジンは、高回転時の騒音と振動が大きく、高速時代に向けて課題とされていましたが、ロータリーエンジンはレッドゾーンの7000rpmまでスムーズかつ静かに吹けあがり、まさに新時代・異次元を感じさせるものでした。
トランスミッションはフルシンクロの4速MTを採用。

ロータリーエンジンのメリットの1つであるコンパクトさを活かし、極力低く、極力後方にマウントされ、ボンネットは非常に低くデザインされました。大きなオーバーハングを持った伸びやかなリアデザインも美しく、コスモ=宇宙を表したような未来的なイメージを強調しています。バンパーを境に上下に分かれたテールランプも特徴的。
高速時代の到来を見越し、ドアは前ヒンジ、エンジンフードは逆アリゲーターを採用しました。

つや消し黒のアルミ製インパネ、無反射ガラスを使用した7連メーター、黒のビニールレザーを使用したフルトリムの内装など、スポーティに仕上げられています。
真っ赤な絨毯のカーペットやテレスコ付の3本スポークウッドステアリングなど、高級感も備えたものとなっているほか、装備面でも充実しており、オートラジオやセミオートアンテナ、浮き上がり防止用フィン付きの2スピードワイパー、ホーン音質切替、メーター照度調節、マップランプ、足元ランプ、助手席アシストグリップ、ミラー付きの助手席サンバイザーなど、当時としては至れり尽くせりの豪華装備でした。
また、座席の後ろには手荷物程度が置けるスペースが確保されており、荷物固定用のベルトも装備されていました。

当時の新車販売価格は148万円。94万円だったプリンス・スカイライン2000GT-B(2代目S50型)と比較しても、非常に高価なクルマだったことがよく分かりますが、当時特に高性能車だったトヨタ2000GT(F10型)の238万円や、翌年発売されるハンドメイドのいすゞ117クーペ(PA90型)の172万円など、コスモスポーツを超える価格のスポーツモデルも登場してきた時代でもありました。

1968年7月にマイナーチェンジを受けて後期型となりました。ホイールベーストレッドの拡大や、ラジアルタイヤの標準化などにより、走行安定性の向上を図ったほか、吸入効率向上による128psへ出力アップ、ラジエターエアインテークの拡大、トランスミッションの5速化などが行われ、最高速度は200km/hに達しました。
ハザードランプやパーキングランプの装備や、クーラーのオプション設定、バッテリー搭載位置の変更なども行われました。

1972年まで生産が続き、最終的に1176台が販売されました。約5年の間、マツダのイメージリーダーの役割を務めあげ、その間に、デチューン版の10A型がファミリア(2代目SP/ST/M10A/BP/BT型)に搭載されたほか、655cc×2ローターの13A型を搭載したルーチェロータリークーペ(M13P型)、573cc×2ローターの12A型を搭載したカペラ(初代SNA/SU2/S122A型)など、次々にロータリーエンジン搭載車を発表しており、コスモスポーツの役目は終了したといったところでした。

 
 
 
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会社存続の危機から生まれた、ロータリーエンジンの開発は、来たる1970年代に向けた新しい技術として注目されてマツダを象徴する技術となり、2012年のRX-8(SE3P型)生産終了までの45年間、マツダのスポーツモデルを支えた大きな技術となりました。

 

 

 

 

【諸元】

 

 

マツダコスモスポーツ(初代L10型)

全長×全幅×全高 4140mm×1595mm×1165mm(~1968.7)
4130mm×1595mm×1165mm(1968.7~)
ホイールベース 2200mm(~1968.7)
2350mm(1968.7~)
乗車定員 2名
エンジン 10A型 2ローター 491cc×2(110ps/7000rpm)(~1968.7)
10B型 2ローター 491cc×2(128ps/7000rpm)(1968.7~)
駆動方式 FR
トランスミッション 4MT(~1968.7)
5MT(1968.7~)
タイヤサイズ 6.45-14 4P(~1968.7)
155HR15(1968.7~)