【日産】ダットサン・フェアレディ(2代目S310型)

スポーツカー市場に期待を込めた日産が作り上げた、渾身の本格スポーツカー。第1回日本グランプリで優勝したことでも有名で、国産車最速の称号を得ました。

最終型の2.0Lモデルは特にスパルタンな走りでファンを魅了しました。

 
 
 
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ダットサン・フェアレディ(2代目S310型)の歴史】

 

 

北米向けに開発されたダットサン・フェアレデー(初代S210型)は、ダットサン・セダン(210型)用のラダーフレームにオープンボディを載せたモデルで、所詮は「オープンボディのセダン」でした。

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この頃、北米市場では欧州製の小型スポーツカーが人気となっており、MG・MGAやMGB、トライアンフ・TRシリーズ、オースチン・ヒーレー・スプライトなどの特に英国車がその中心。乗用量産車のコンポーネンツを流用してはいたものの、エンジンや足回りはスポーティに味付けされ、スタイリングも洗練されたものとなっており、S210型では既に通用しない時代になっていました。そこで1962年にフェアレディのフルモデルチェンジを行いました。

シャシーはブルーバード(初代310型)用を流用し、補強のためにX型のメンバーを追加。サスペンションもブルーバードから流用したものを強化し、前輪はウィッシュボーン式の独立懸架、後輪はリーフリジッド式。シャシーの低床化に加えて、タイヤの小径化により、低重心化を実現しました。

エンジンには、セドリック(初代30型)用の「G型(直列4気筒OHV・1488cc)」をチューンアップして搭載。最高出力はセドリックと同様の71psで、トランスミッションは2速以上にシンクロ機構を備える4速MT。
車両重量の軽さもあって、最高速度は150km/hと公称されており、100km/hが高速車と言われていた時代には、各段に速いクルマでした。

全長3910mm×全幅1495mm×全高1275mmの小柄なオープンボディで、フラットなスタイリングが特徴。
当初は横向きの後部座席を備える3人乗りでデビューしました。北米向けの左ハンドル車を重視し、後部座席は運転席後ろにセットされたため、運転ポジションが前寄りとなってしまい、国内ではこれが不評でした。

1962年10月に、国内向けの「ダットサン・フェアレディ1500」と、輸出向けの「DATSUN 1500」を発売。国内向けがSP310型、輸出向けがSPL310型の型式が与えられました。

1963年5月、鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリに出場すると、国内スポーツカー1300~2500ccクラスで、圧倒的な速さで優勝。これには、輸出使用のSUキャブレターが2基搭載されていました。
日本GPでの活躍を受けて、翌月に市販車もこのSUツインキャブに変更し、80psに出力が向上しました。

1964年8月には、不評だった3人乗りを止めて2シーターに変更しました。

 
 
 
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比較的安価だったことと、同程度の価格帯のスポーツモデルよりも高性能だったことから、北米市場では着々と人気を獲得しつつありました。その北米市場からの要望に応え、1965年5月に「フェアレディ1600」にモデルチェンジし、SP311/SPL311型となりました。
搭載されたのは「R型(直列4気筒OHV・1595cc)」で、90psを発揮。4月に発売されていたシルビア(初代S310型)とエンジンやトランスミッションシャシーを共通化し、前輪ブレーキはドラム式からディスク式に変更されました。
最高速度は160km/hを超え、スポーツカーとしての名に恥じないものとなりつつありました。

 
 
 
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1967年3月、さらなる高性能化を望む声に応え、このフェアレディシリーズの最終型となる、SR311/SRL311型となる「フェアレディ2000」を追加しました。
搭載されたのは、ソレックスツインキャブの新設計エンジンで、「U20型(直列4気筒SOHC・1982cc)」。最高出力は一気に145psに達し、トランスミッションはポルシェシンクロの5速MTを搭載。最高速度は205km/hを達成しました。0→400m加速は15.4秒で、トヨタ2000GT(F10型)やマツダコスモスポーツ(L10型)を凌ぎ、当時の国産車最速を誇りました。
クラッチや足回りは強化され、走りは特にスパルタンなものとなり、個性溢れる本格スポーツカーへと変貌していました。

1967年11月には、ウィンドウを高くした通称「ハイウインドスクリーン」に変更。シートベルトの3点化や、ダッシュパッドやヘッドレストの追加、ミラーの形状変更などに北米の安全基準に準拠しました。

1968年7月、ソフトトップを持たないハードトップ標準装着モデルを追加。
11月には、テールランプやライセンスランプ、マフラー、ワイパーなどを変更するマイナーチェンジを実施しました。

1969年11月、後継となる「フェアレディZ(初代S30型)」がデビューしましたが、フェアレディの高性能でスパルタンな乗り味のファンが多く、1970年4月まで生産が続けられました。
その後、現代まで続くフェアレディZは、国産スポーツカーの代名詞となり、ファンを魅了し続けています。

 
 
 
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国内ではまだ高性能スポーツカーに庶民が手を出せる時代ではない中、初の国産本格スポーツカーだったフェアレディは人々の憧れの的となりました。他社からは、ホンダ・Sシリーズ(AS280/285/800型)やトヨタ・スポーツ800(P10型)などの小型なスポーツカーが登場し、さらに1967年にはトヨタ2000GTマツダコスモスポーツといった本格スポーツカーもデビューしました。これらのクルマも、フェアレディの存在に感化されたと言っても過言ではなく、国産本格スポーツカーの礎を作ったのは、紛れもなくこのフェアレディでした。

 

 

 

【諸元】

 

 

ダットサン・フェアレディ(2代目S310型)

全長×全幅×全高 3910mm×1495mm×1275/1300/1315mm
ホイールベース 2280mm
乗車定員 2/3名
エンジン G型 直列4気筒OHV 1488cc(71ps/5000rpm)
G型 直列4気筒OHV 1488cc(80ps/5600rpm)
R型 直列4気筒OHV 1595cc(90ps/6000rpm)
U20型 直列4気筒SOHC 1982cc(145ps/6000rpm)
駆動方式 FR
トランスミッション 4MT/5MT
タイヤサイズ 5.60-13 4P
5.60-14 4P