【ダイハツ】ミゼット(初代DK/DS型)

オート三輪市場の大手メーカーだったダイハツが発売した、軽三輪トラックのミゼットは、零細商店の物流事情を変えた、昭和の小さな大物。

リアカーやバイクだった荷運びが、軽トラックへと変化した瞬間でした。

 

 

 


ダイハツ・ミゼット(初代DK/DS型)の歴史】

 

 

民間用トラックの生産が再開された戦後、そのメインは廉価なオート三輪。1950年代に入ると、四輪トラックの大型化によって生まれた空白地帯を埋めるように、オート三輪も大型化の道を辿り、その主流は750kg積級から、1~2t積級にまで拡大していました。全長6000mm弱、全幅1900mm程度にまで大型化したオート三輪は、上位クラスの四輪トラックをも上回るほどに達していました。

次第にクローズドボディを採用し、丸ハンドル化が進み始めると価格は上昇。同時期に、走行安定性が高く、静粛性にも勝る安価な小型四輪トラックが出始めると、オート三輪市場は競争力を失うこととなり、市場は一気に縮小。
下位メーカーは撤退や倒産に追い込まれる事態となる中、大手メーカーは四輪トラックの生産に切り替えるか、軽三輪トラックに活路を見出しました。

オート三輪市場の上位メーカーであったダイハツは、それまでリアカー付きの自転車やバイクが輸送手段だった零細商店や個人企業などに向けて、廉価な軽三輪トラックを作ることで多くのニーズが生まれると考えました。

新興メーカーを含めて様々な中小メーカーから軽三輪トラックが生まれており、その多くはオート三輪を縮小した設計か、二輪車を拡大した設計かの2種類でしたが、ダイハツは自社一貫生産による大量生産と、低価格販売のために一から専用設計されました。

全長2540mm×全幅1200mm×全高1500mmのボディサイズは1人乗りで、屋根と背面は幌製。ドアはなく、跨座式のシートにバーハンドル、タイヤはスクーター用の9インチ、ブレーキはリアのみなど、三輪スクーターとも言うべき簡易な作りでしたが、専用設計されたことによって十分な耐久性と実用性を備えました。
最大積載量300kgの荷台は長さ1.2m、幅1.0mほどの小型なものでしたが、リアカーやバイクに比べれば格段に多くの荷物を積載可能でした。

新開発されたエンジンは「ZA型(2ストローク単気筒・249cc)」で、最高出力は8ps。最高速度は60km/h、燃費は28km/Lのカタログ値を誇りました。

1957年8月に発売され、基本のDKA型の他に、セルモーター付きのDKⅡ型をラインナップ。「街のヘリコプター」のキャッチフレーズと「みんみんミゼット」というコマーシャルソングと共に、テレビコマーシャルも活用して販促され、一躍ベストセラーカーとなりました。

1959年には、DKⅡ型を基本に10psにまでエンジンを強化し、ドア付キャビン仕様としたDSA型と、その荷台をライトバン仕様にしたDSV型、さらにDSA型の荷台長を短縮して2人乗車を可能にしたDSAP型を追加し、ラインナップを拡充しました。

1959年10月に後継となるMP型が登場。MP型は2人乗りのドア付キャビンに丸ハンドル仕様とした上級移行だったため、DK/DS型は価格を引き下げてしばらくの間は併売されました。

MP型のほぼ最終型となるMP5型の発売開始に伴い、1962年12月にDK/DS型は販売終了。MP型のような上級移行した軽三輪トラックは、それまでのバーハンドル型のような軽便性が失われ、1960年のハイゼット(初代L35/36型)を皮切りに続々と発売された軽四輪トラックに、取って代えられるようになりました。MP型はその後、1971年12月まで生産が続けられ、最後まで生き残った軽三輪トラックとなりました。

軽三輪トラックの代名詞となったミゼットは、長い期間に高い人気を誇るようなロングセラーでは決してありませんでしたが、リアカーだった運送手段が軽トラックに変わるための、大変大きな存在でした。
その後、昭和を感じさせるクルマとして、テレビドラマや映画でも活躍しており、昭和30年代の象徴として、生き続けています。

 

 

 

【諸元】

 

 

ダイハツ・ミゼット(初代DK/DS型)

全長×全幅×全高 2540mm×1200mm×1500mm
ホイールベース 1680mm
乗車定員 1/2名
エンジン ZA型 2ストローク単気筒 249cc(8ps/3600rpm)
ZA型 2ストローク単気筒 249cc(10ps/4000rpm)
駆動方式 FR
トランスミッション 3MT
タイヤサイズ 5.00-9 4P / 5.00-9 6P