【日産】セドリック(初代30/50型)

トヨペット・クラウンの登場から5年が経った1960年、オースチンノックダウン生産のノウハウを活かし、日産が投入した高級乗用車がセドリックでした。

長年に渡りライバルとなるクラウンとの戦いは、ここから始まりました。

 

 

 


【セドリック(初代30/50型)の歴史】

 

 

1955年は国産車の歴史が変わった年と言われており、2台のクルマがデビュー。トヨタが開発した1.5Lクラスのトヨペット・クラウン(初代RS/S20/S30型)と、日産が開発した1.0Lクラスのダットサン・乗用車(110型)で、両車ともそれぞれのクラスでトップシェアを誇りました。

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日産はダットサンの他にも、1953年からは英国のオースチン社との提携により、オースチンA40サマーセットのノックダウン生産を開始していました。1955年からは本国でモデルチェンジしたA50ケンブリッジにシフトし、クラウンのライバルとして奮闘。1958年には部品の完全国産化を達成しました。国内でのニーズに対応し、日産独自の仕様変更等も行って生産を続け、1960年3月に提携契約が終了し、新たな独自モデルとしてセドリックを開発することになります。

駆動方式はFR、サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リアがリーフリジッド、ブレーキは4輪ドラム式と、当時としては一般的なものでしたが、モノコック構造を日産では初めて採用しました。
当初のエンジンは「G型(直列4気筒OHV・1488cc)」で71psを発揮。コラムシフトのシンクロメッシュ4速MTで、最高速度130km/hを達成しました。

車体はアメリカ車の影響を大きく受けたデザインで、縦型4灯式のヘッドライトや、小型のテールフィン、左右に回り込んだフロントウィンドウと前傾したAピラーなどが特徴。
サイズは全長4410mm×全幅1680mm×全高1520mmで、先代のA50ケンブリッジよりも2回りほど大きく、6人乗車しても広々と感じられるサイズでした。

1960年4月に発売されると、たちまち人気となり、市場はクラウンと二分化。廉価グレードの「スタンダード」と、上級グレードの「デラックス」の2ラインナップで、デラックスにはヒーターやラジオ、時計を標準装備しました。ラジオはアンテナやバッテリーを内蔵しており、取り外して車外に持ち出すことができ、ポータブルラジオとしても使用することができました。また、ヒーターとクーラー両用のエアコンもオプション設定されました。

11月には、小型車規格の変更に伴い、ホイールベースと全長をそれぞれ100mm延長して、「H型(直列4気筒OHV・1883cc)」を搭載した「カスタム」を追加。後席ヒーターやリアシートピロー、助手席バニティミラーなどを備えました。

1961年2月に追加されたのが、商用登録となるバン。デザインは基本的にセダンと共通で、車体後部のルーフを延長したもので、特筆すべきなのはリアゲートの開閉機構。運転席からも操作できる電動開閉式リアウィンドウを下ろした後、下ヒンジのリアゲートを開ける方式で、ウィンドウを開けないとゲートは開けられない仕組みになっていました。そしてこの電動開閉式のウィンドウは、国産車では初の採用でした。荷室は国産車最大級のもので、後席を倒せばさらに広大でした。

1961年5月には、デラックスのボディにH型エンジンを搭載した「1900デラックス」を追加。
1961年9月には、フロントグリルやフェンダー周りのデザインを変更するマイナーチェンジを実施。

1962年4月になると、3列シート8人乗りで1.9Lを搭載した「ワゴン」を追加。3列目シートは荷室に後ろ向きに設置されるジャンプシートで、セドリック最後のワゴン設定だった6代目Y30型まで設定され、1999年まで引き継がれました。2列目、3列目ともに折り畳むことができ、バンと同じ広大な荷物スペースにもなりました。

10月にはマイナーチェンジを受け、ヘッドライトは縦型4灯から横型4灯となり、フロントグリルのデザインも豪華さをアピールするものとなりました。国産車としては初採用となるパワーシートも設定されたほか、スタンダードやバンにも1.9車が設定されました。ライバルのクラウンが9月に2代目へフルモデルチェンジしたことに対抗したものでした。

1963年2月には、3ナンバー登録となる「スペシャル」を発売。カスタムのホイールベースを205mm、全長を345mm延長したロングモデルで、115psを発揮する「K型(直列6気筒OHV・2825cc)」を搭載しました。型式は50型が与えられ、後にプレジデント(初代150型)へと発展していくことになります。

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当時は運転手付きのショーファードリブンはアメリカ車の独占状態だった中に、日産が食い込もうとしたもの。トヨタでも翌年に、センチュリーへと発展するクラウンエイト(G10型)を発売しています。

1963年9月のマイナーチェンジではフロントグリルやウインカーのデザインを変更し、インパネも全面的に刷新されました。

1964年6月には、「SD20型(直列4気筒OHVディーゼル・1991cc)」を搭載したディーゼル車を追加。出力は56psで、トランスミッションは3速MTとの組み合わせでした。
7月には、ボルグワーナー製の3速AT搭載車を追加しました。

1964年9月には、マイナーチェンジを実施し、フロントグリルを再度変更し、リアコンビネーションランプの形状も変更されました。

1965年10月にフルモデルチェンジとなり、2代目130型へ移行。3代目になると、プリンス自動車をルーツに持つグロリアと姉妹車関係となり、以来「セド・グロ」と呼ばれ、クラウンと長年競合することになります。

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国産高級車の2大モデルである、クラウンとセドリック。モータリゼーション初期には憧れの高級車として、バブルの好景気の頃にはスタイリッシュなハイオーナーカーとして、日本を代表する車種としてあり続けました。
クラウンの独断場だった国産高級車市場にセドリックが一石を投じ、それがいいライバル関係の中で切磋琢磨したのです。

 

 

 

【諸元】

 

 

日産・セドリック(初代30/50型)

全長×全幅×全高 4410mm×1680mm×1520mm
4510mm×1680mm×1510mm(~1962.10・カスタム)
4650mm×1690mm×1505mm(1962.10~・カスタム)
4650mm×1680mm×1530mm(~1962.10・バン/ワゴン)
4690mm×1690mm×1530mm(1962.10~・バン/ワゴン)
4855mm×1690mm×1495mm(スペシャル)
ホイールベース 2530/2630/2690/2835mm
乗車定員 3/6/8名
エンジン G型 直列4気筒OHV 1488cc(71ps/5000rpm)
H型 直列4気筒OHV 1883cc(88ps/4800rpm)
SD型 直列4気筒OHVディーゼル 1991cc(56ps/3800rpm)
K型 直列6気筒OHV 2825cc(115ps/4400rpm)(スペシャル)
駆動方式 FR
トランスミッション 3AT/3MT/4MT
タイヤサイズ 6.40-14 4P
5.50-15 6P/5.50-15 8P
5.60-15 6P