【いすゞ】ピアッツァ(初代JR120/130型)

いすゞが1968年に発売した117クーペは、フラッグシップモデルとして1981年まで生産された「名車」。その後継車として、いすゞの看板を背負ってデビューしたのがピアッツァでした。

ジウジアーロがデザインした美しいクーペは、ほぼショーモデルのまま量産化され、いすゞの技術者の手腕に世界が驚きました。

 
 
 
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【ピアッツァ(初代JR120/130型)の歴史】

 

 

 

戦後、大型ディーゼル車の生産で日本を支えたいすゞは、トヨタ、日産とともに一時は「御三家」とまで言われた名門自動車メーカー。ヒルマンミンクス(初代PH10型/2代目PH100型)のノックダウン生産で乗用車市場に進出し、その後、中型車のベレル(PS10/20型)、小型車のベレット(PR型)を自社開発。ベレルの後継車としてフローリアン(PA20/30型)がデビューし、そのクーペ版として開発されたのが117クーペ(PA90型)でした。

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排ガス規制に追われながらも、マイナーチェンジやコストダウンを繰り返した117クーペでしたが、1970年代末にもなると、デビューから10年が経過しており、人気は陰りを見せました。いすゞは後継車を計画し、117クーペに引き続き、イタリアの有名デザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロにデザインを依頼し、1979年3月のジュネーヴモーターショーでは、カロッツェリア・ギアのブースに試作車が出展されました。量産化にあたり、市販モデルの完成までには相当なスタイリング変更を受けるのが通常の中、プロトタイプのイメージを忠実に再現したまま量産化されたピアッツァには、世界から驚きの声が上がりました。

シャシーやサスペンションはジェミニ(初代PF50/60型)のものが流用され、前後輪ともにスタビライザーが取り付けられました。
エンジンは、ジェミニ用の1.8Lを拡大した「G200WN型(直列4気筒DOHC・1949cc)」と、117クーペ用を改良した「G200ZNS型(直列4気筒SOHC・1949cc)」の2種類を用意。トランスミッションは5速MTが基本で、DOHC車には4速ATも設定されました。

ジウジアーロデザインのスタイリングは3ドアハッチバッククーペで、美しいボディラインが魅力。特にウィンドウはフラッシュサーフェス化されており、空気抵抗を低減し、Cd値0.36を達成しました。残念ながら美しさを損なっているのが、当時ドアミラーが認可されていなかったために、フェンダーミラーとなっている点。
117クーペより少し大型化されたボディは、全長4385mm×全幅1675mm×全高1300mmで、当時のトヨタセリカ(2代目A40型)や日産・シルビア/ガゼール(110型)と同等サイズ。

インテリアも凝ったもので、メーターの周りにスイッチ類が集められた「サテライトスイッチ」もジウジアーロによるもの。ステアリングから手を放さずに、大抵の操作が出来るようになっています。各エアコン吹き出し口のギミックも凝っているものが多く、プロトタイプの未来的な機構がそのまま実現されていました。
また、グレードによりオートエアコンやマルチドライブモニター、パワーウィンドウ、車速感応型操舵力可変パワーステアリング、後席3点式シートベルトなど、フラッグシップモデルに相応しい先進的な機能も用意されました。

1981年6月にデビューし、最廉価版で166万円、最上級版で255万円と幅は広く、価格としてはより上級クラスのクーペに匹敵するものでした。
1983年5月には、ドアミラーに変更され、本来の美しいスタイリングを実現。

1984年6月、パワー競争に入っていたスペシャリティカー市場では、135psでは非力とされたため、アスカ(初代JJ110/120/510型)に搭載されていた2.0Lターボにインタークーラーを装着した、「4ZC1-T型(直列4気筒SOHCターボ・1994cc)」搭載車を追加しました。この時、G200WN型搭載のDOHC車は受注生産となりました。

1985年11月には、ドイツのチューニングメーカーであるイルムシャーが足回りをチューンしたグレード「イルムシャー」を発売。MOMO製ステアリングにレカロ製シートも装備し、専用デザインのフルホイールカバーもスポーティさを演出しました。

1987年8月に改良を施し、テールランプの大型化やインパネデザインを変更。受注生産となっていたG200WN搭載車は廃止となりました。

1988年6月には、ロータス社との技術提携による「ハンドリングバイロータス」仕様を発売。ロータスチューンのサスペンションに、アームストロング製ショックアブソーバー、BBS製アルミホイール、MOMO製ステアリングなどを装備し、リアサスペンションは3リンクから5リンクに変更されました。同時に、G200WN搭載車も廃止され、4ZC1-T型に1本化。

1990年6月、「ハンドリングバイロータスリミテッド」が追加され、LSDが標準装備となりました。

1991年8月に販売終了し、2代目へフルモデルチェンジとなりました。社内デザインされた2代目は、FF方式となり、スタイリングも一新されましたが、1994年12月にはいすゞの乗用車自主生産撤退により、ピアッツァも生産終了。117クーペから続くスペシャリティカーの歴史にも幕を閉じました。

発売当初は美しいスタイリングが最大のセールスポイントだったピアッツァは、ターボエンジンの追加や足回りを強化したモデルの追加によって、全体的なバランスも改善し、スペシャリティカーとして十分な性能を備えました。
しかし、かつて「御三家」と呼ばれたいすゞも1980年代には既に販売網は弱く、販売面では決して成功したとは言えず、苦戦を強いられました。
個性的なメーカーだからこそ創り出せたピアッツァは、117クーペと並び、いすゞの名車として語り継がれています。

 

 

 

【諸元】

 

 

 

いすゞ・ピアッツァ(初代JR120/130型)

全長×全幅×全高 4310/4385mm×1655/1675mm×1300mm
ホイールベース 2440mm
乗車定員 4名
エンジン G200ZNS型 直列4気筒SOHC 1949cc(120ps/5800rpm)
G200WN型 直列4気筒DOHC 1949cc(135ps/6200rpm)
4ZC1-T型 直列4気筒SOHC ICターボ 1994cc(180ps/5400rpm)
駆動方式 FR
トランスミッション 4AT/5MT
タイヤサイズ 165SR13
185/70HR13
195/60R14
205/60R14