【スズキ】ジムニー/ジムニー8(初代LJ10/LJ20/SJ10/LJ20型)

小型軽量なボディサイズに、堅牢なラダーフレーム、大径タイヤを備えた4WDとして、悪路の踏破性はトップクラスの性能を誇るジムニー。林道や山岳地で活躍するだけでなく、近年では趣味のクルマとしても安定した人気を誇っています。

自動車業界から撤退直前のホープ自動車が開発したホープスター・ON360の製造権を、スズキが買い取ったことによって、唯一無二なジムニーの歴史が始まりました。

 

 

 


ジムニー/ジムニー8(初代LJ10/LJ20/SJ10/SJ20型)の歴史】

 

 

 

当時量産されていた4WD車は、トヨタ・ランドクルーザー(J40系・J55/56系)、日産・パトロール(2代目60型)、三菱・ジープの3車種。いずれも、戦後の警察予備隊(後の陸上自衛隊)向けの競争入札のために開発されたクルマをルーツに持つ、ジムニーと比べても各段に大型のモデルでした。

ジムニー開発のきっかけは、ホープ自動車が開発した軽4WD「ホープスター・ON360」の製造権を、社内の反対を押し切って、鈴木修(当時スズキ東京社長、その後スズキ会長)が買い取ったことでした。
ホープ自動車は、軽三輪トラック市場では一定の成績を収めた自動車メーカーで、1960年代に入ると軽四輪トラックの製造を開始しました。しかし、富士自動車から供給を受けていたエンジンに欠陥が見つかり、経営状況は悪化。1965年には自動車市場からの撤退に追い込まれてしまいました。その後、自動車市場への再起を目指し、「四輪駆動不整地用万能者」としてON360を開発しましたが、既に量産体制や販売能力はなく、量産化には至らず、100台程度が製造されたに留まりました。そして大手メーカーへの製造権譲渡へと踏み切り、自動車市場からの完全撤退を決断しました。

4WD車に対しての基礎知識すら持っていなかったという鈴木氏でしたが、ON360が急勾配を登坂する姿を見て軽4WDの可能性に開眼し、スズキ社内からの批判を押し切る形で製造権を買い取りました。
ON360は、一部に三菱製の部品を使用していることや、量産向けに設計されていない点などもあったため、その優れた性能や機能は活かしつつ、自社生産向けに大きく設計変更されました。

強度と耐久性に優れるラダーフレームに、4輪リジッドアクスルサスペンションを組み合わせ、タイヤには6.00-16の大径のものを採用。最低地上高は235mmを誇りました。
エンジンは、1961年のキャリィ(初代FB型)から実績のある「FB型(空冷2ストローク直列2気筒・359cc)」を流用。トランスミッションもキャリィから流用されました。他にも、規格品の鋼材や自社の既存部品を積極的に使用することでコストを抑制。

 
 
 
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実用本位で無骨だったON360に対し、洗練されたスポーティなスタイリングを採用し、当初は幌トップ・幌ドア仕様のみを設定。1970年4月に型式LJ10型の初期モデルが販売開始されました。
既存の大型の4WD車よりも優れた機動力を発揮し、その上で維持費の安い軽自動車であることから、市場の評価は良く、商業的にも成功を収めることになりました。

1972年5月にはマイナーチェンジを受けてLJ20型となり、外見上はフロントグリルのスリット形状が横型から縦型に変更となりました。最大の変更点は、エンジンが空冷から水冷の「L50型(水冷2ストローク2気筒・259cc)」に変わったこと。出力が28psに向上しただけでなく、温水式ヒーターを採用することができました。
幌モデルだけだったボディバリエーションには、耐候性や安全性に優れた、メタルトップ・メタルドア仕様の「バン」が追加されました。

1972年7月、ソニーとの共同開発により、18インチカラーテレビとUマチックビデオデッキを装備した、その名も「ビデオジムニー」を発売。トランスファーPTO装置でベルトを回転させて発電し、ラゲッジに設置された機器に電力を供給する仕組みでした。当時のビデオ機器は大きくて重かったこともあり、電源のないところでビデオの録再生が出来ることを謳い、法人向けに販売しようとしましたが、結局は1台も売れなかったと言われています。

1973年11月に発売されたLJ20-2型では、フロントの車幅灯とウインカーが分離式となり、リアのウインカーは赤からアンバーへと変更されました。
1975年2月には、対面式の後部座席を配置した4人乗り仕様を幌モデルにラインナップ。型式はLJ20F型で、通常モデルではラゲッジに搭載されていたスペアタイヤは、車体背面に移動されました。

1975年12月からは、昭和50年排ガス規制に適合したLJ20-3型を発売しましたが、約半年後にはSJ10型が発売されたため、短命に終わりました。

1976年の軽自動車規格変更に伴い、6月にSJ10型を発売。ボディサイズは変更せず、エンジンを「LJ50型(水冷2ストローク3気筒・539cc)」に変更しました。愛称は550ccにちなんで「ジムニー55」とされました。

1977年6月にはSJ10-2型となり、ボディサイズを新しい軽自動車規格に合わせて拡大しました。
翌月の7月には、輸出仕様をベースに国内向けとした「ジムニー8(SJ20型)」を発売。41psの「F8A型(水冷直列4気筒SOHC・797cc)」を搭載し、小型車登録となり、スズキの四輪車では初の4サイクルエンジン搭載車となりました。国内での販売台数は約1800台程度に留まりました。

1978年11月には、マイナーチェンジでSJ10-3型となり、フロントマスクの意匠変更や、フェンダーミラーの形状変更、インパネのスイッチ場所変更などが行われ、操作性や視認性を向上。同時に、幌モデルにメタルドア仕様を追加しました。

モデル末期となる1979年になると、装備の充実化を図ったSJ10-4型を発売し、1981年5月にフルモデルチェンジ。初代モデルは約11年のロングライフとなりました。
その後、2代目は1981年から1998年までの約17年、3代目は1998年から2018年までの約20年と、非常に長いモデルライフを送りながら、着実のファンを惹きつけながら生産を続けています。

当初はスズキ社内でも期待されていなかったジムニーの発売は、予期せぬ人気を呼び、1970年の発売以降50年以上に渡って生産されるご長寿モデルとなりました。
悪路走行が必要な業務用車両としてだけでなく、レジャーや趣味のためのおもちゃのようなクルマとして、「ジムニスト」にここまで愛される唯一無二存在となったことは、鈴木修も想像出来なかったのではないでしょうか。

 

 

 

【諸元】

 

 

 

スズキ・ジムニー/ジムニー8(初代LJ10/LJ20/SJ10/SJ20型)

全長×全幅×全高 2955mm×1295mm×1615/1670mm(~1976.6)
3170mm×1295mm×1685/1845mm(1976.6~1977.6)
3170mm×1395mm×1685/1845mm(1977.6~)
ホイールベース 1930mm
乗車定員 2/3/4名
エンジン FB型 空冷2ストローク2気筒 359cc(25ps/6000rpm)(~1972.5)
L50型 水冷2ストローク2気筒 359cc(28ps/5500rpm)(1972.5~1976.6)
LJ50型 水冷2ストローク3気筒 539cc(26ps/4500rpm)(1976.6~)
F8A型 水冷直列4気筒SOHC 797cc(41ps/5500rpm)(ジムニー8)
駆動方式 4WD
トランスミッション 4MT
タイヤサイズ 5.65-15 4P
6.00-16 4P
6.00-16 6P