【トヨタ】トヨペット・クラウン(初代RS/S20/S30型)/マスターライン(2代目S20/30型)

言わずと知れた日本の高級車「クラウン」。1955年にデビューした初代モデルは、初の本格的国産乗用車であり、もちろん初の国産高級車でした。

日本の自動車史においても、大きな転換期となったクラウンの誕生を振り返ります。

 

 

 


トヨペット・クラウン(初代RS/S20/S30型)/マスターライン(2代目S20/30型)の歴史】

 

 

戦後の日本では、GHQにより乗用車の生産が禁止されており、これが解除されるのは1949年のこと。当時乗用車の生産技術は日本が大きく遅れていたことや、厳しい経営状態の中で自社設計する余裕もなかったことなどから、日本の乗用車生産は、海外車両のノックダウン生産という形で始まり、1953年から日野・ルノーいすゞヒルマンミンクス、日産・オースチンの3車種が生産開始されました。
そんな中でトヨタは、純国産にこだわって開発を進め、1955年にトヨペット・クラウン(初代RS型)を発表したのです。

トヨタの乗用車史は、決してクラウンが最初というわけではありません。
戦前にはAA型乗用車やAB型フェートンが、戦時中には陸軍向けにAC型乗用車などが生産されました。戦後に生産が開始されたのがSA型小型乗用車で、GHQから乗用車生産許可が300台だけ許された1947年に発表。1.0Lエンジンを搭載した自家用車向けの小型車で、1952年まで生産されましたが、約5年間での総生産台数はわずか215台に留まりました。その後に登場したのがSD型で、タクシー用に開発された小型車。1949年から1952年までに665台が生産されました。タクシー用にはその後1951年にSF型が、1953年にはSH型などが開発され、それぞれ3653台と230台生産。
そして1953年に登場したのがトヨペット・スーパー(RH型)で、クラウン登場前夜といったモデル。まだそのほとんどがタクシー向けに販売されました。

数々のタクシー向け乗用車を生産していたトヨタでしたが、クラウンがこれらと異なったのは、タクシー向けにはトヨペット・マスター(RR型)が同時に発売されており、クラウンはあくまで自家用乗用車として想定されていたということになります。

タクシー向け先代車であるスーパーの、強靭なラダーフレームはそのままに、フロントサスペンションには独立懸架(ダブルウィッシュボーン)を、リアには車軸懸架(リーフスプリング)を採用。未舗装路が大半だった時代には、耐久性のある車軸懸架が一般的で、国産車では独立懸架の採用例はほとんどありませんでした。(タクシー向けのマスターは、前後とも車軸懸架。)

エンジンはスーパーにも搭載されていた48psの「R型(直列4気筒OHV・1453cc)」。
コラムシフトの3速MTで、2速と3速にシンクロメッシュを装備し、最高速度は100km/hとされました。

ボディラインは曲線的で、北米のセダンを縮小したような雰囲気を持ち、最大の特徴は、後部座席の乗り降りがしやすいように観音開きドアが採用されたこと。
サイズは全長4285mm×全幅1680mm×全高1525mmで、スーパーよりも全幅が拡げられたことで室内は広く、前席をベンチシートとしたことで6人乗りを実現しました。自家用向けとはいえ、室内はまだ簡素なもので、ヒーターやラジオすら備わらず、装備されたのはベンチレータ程度。

1955年1月1日に発売され、日本初の本格的な国産乗用車が誕生しました。
そして12月には型式をRSD型とする「デラックス」を発売。2枚分割式だったフロントガラスは1枚ガラスとされ、メッキパーツを増やすなど、高級感を演出。ヒーターやラジオ、時計、フォグライト、バックランプなども標準装備しました。

当初48psだったエンジンは、逐次パワーアップされ、1956年10月には55ps、1958年4月には58psにまで向上しました。

1958年10月にはマイナーチェンジを実施し、型式はRS20型へと変更。フロントマスクの意匠変更や、トランスミッションにオーバードライブが追加されました。

一方で、タクシー向けのマスターは短命に終わり、1956年には生産を終えていましたが、その商用バン仕様とピックアップ仕様のマスターライン(初代RR型)は継続生産されていました。
クラウンがマイナーチェンジでさらに豪華な見栄えを備えると、マスターラインの簡素な外観が見劣りするようになったため、1959年3月にクラウンをベースとした商用車として生まれ変わりました。
多くの部品をクラウンと共通化し、前半分はほぼクラウンと同等。後ろ半分は、商用向けに独自設計され、2ドアバンとピックアップがラインナップされました。

1959年10月には、市販車では国産乗用車初のディーゼルエンジン搭載車を追加。搭載されたのは「C型(直列4気筒OHVディーゼル・1491cc)」で、R型のシリンダーブロックを流用した試験的なもののため、40psしか発揮できず、さらにシリンダーの剛性不足の問題もあり、結果的には失敗エンジンとなりました。

1960年10月、2度目のマイナーチェンジが行われました。
小型車規格の変更に伴い、デラックスに「3R型(直列4気筒OHV・1897cc)」搭載車を追加。また、「トヨグライド」と呼ぶ2速AT車も追加されました。マスターラインも同時にマイナーチェンジされ、2ドアダブルピック仕様と4ドアバンが追加されました。

 
 
 
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1961年3月には、ディーゼルを含む1.5L車は廃止され、スタンダード仕様とマスターラインにも1.9Lを搭載しました。
ほぼ同時期に、下位車種であるコロナ(2代目T20型)にR型を搭載した1.5L車が追加され、事実上コロナが代替車とされました。

1962年9月にフルモデルチェンジを実施し、2代目へと移行。
2代目ではほぼ小型車枠いっぱいまでボディサイズは大型化され、北米の流行の変化を受けてフラットデッキスタイルと呼ばれるデザインに変わりました。
1959年と1960年には以降最大のライバルとなるプリンス・グロリアや日産・セドリックも登場しており、日本を代表する高級セダンとしての道を歩み始めました。

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発売当初の1955年には3000台にも満たない生産台数でしたが、最終的に1961年には3万5000台を超える生産台数を誇りました。ノックダウン生産を含めたライバル車と比較しても、クラスシェアは50%を超え、絶大な人気を誇っていたことが分かります。これは純国産にこだわり、日本人に合った設計が為された結果。
それまで、乗用車は輸入車でまかなうとまで言われていた時代もありましたが、クラウンの登場と成功によって一気に逆転し、国産車にとっては大きな転換期となったのです。

 

 

 

【諸元】

 

 

トヨペット・クラウン(初代RS/S20/S30型)

全長×全幅×全高 4285mm×1680mm×1525mm(~1960.1)
4365mm×1695mm×1540mm(1960.1~)
ホイールベース 2530mm
乗車定員 6名
エンジン R型 直列4気筒OHV 1453cc(48ps/4000rpm)
R型 直列4気筒OHV 1453cc(55ps/4400rpm)
R型 直列4気筒OHV 1453cc(58ps/4800rpm)
R型 直列4気筒OHV 1453cc(60ps/4500rpm)
C型 直列4気筒OHVディーゼル 1491cc(40ps/4000rpm)
3R型 直列4気筒OHV 1897cc(90ps/5000rpm)
駆動方式 FR
トランスミッション 2AT/3MT
タイヤサイズ 6.40-15 4P
7.00-14 4P

 

トヨペット・マスターライン(2代目S20/30型)

全長×全幅×全高 4420mm×1680mm×1590mm
ホイールベース 2530mm
乗車定員 3/6名
エンジン R型 直列4気筒OHV 1453cc(58ps/4800rpm)
3R型 直列4気筒OHV 1897cc(80ps/4600rpm)
駆動方式 FR
トランスミッション 2AT/3MT
タイヤサイズ 6.50-13 6P