【トヨタ】ランドクルーザー(初代BJ型)

三菱・ジープに競争入札で敗れたトヨタジープBJ型(後のランドクルーザー)。その結果、三菱・ジープとは異なる独自の発展を遂げ、今や世界中で高い評価を受けるクルマとなりました。

世界中の悪路で活躍することになるランドクルーザーの誕生について振り返ります。

 

 

 


トヨタ・ランドクルーザー(初代BJ型)の歴史】

 

 

 

終戦から5年後の1950年に発足した警察予備隊(後の陸上自衛隊)は、主に米軍から供与された車両や兵器を使って武装していましたが、小型トラック(ジープ)の国産化を進めて国内で生産しようという動きが高まり、トヨタ・日産・三菱(当時は中日本重工業)のよる3社競争入札が行われました。

トヨタは「ジープBJ型」の試作車を1951年8月に完成させ、富士山の6合目までの登山試験などにも成功し、優秀は成績を収めました。日産も9月には、後に日産・パトロールとなる「4W60型」の試作車を完成。三菱は1950年、米軍向けにウイリス・ジープのノックダウン生産を決定しており、このジープで入札に参加しました。
入札の結果は本命だった三菱。米軍と装備を共用化できるため、当然の選択でした。

入札に敗れた後、1953年から民生向けに生産を開始し、警察や消防で多く導入されました。標準仕様の「BJT型」、無線連絡車仕様の「BJR型」、消防用シャシーの「BJJ型」の3タイプが基本で、その他の用途向けは特装車扱いで対応。

1947年から生産されていた1t積ボンネットトラック「トヨペット・SB型トラック」用の、ラダーフレームを、強度を高めて四輪駆動に改良。
エンジンは、6t積級の大型トラックに使用されていた「B型(直列6気筒OHV・3386cc)」を採用。当時のトヨタでは、4気筒1.0Lと6気筒3.4Lの2種類しか生産しておらず、ちょうどいい2.2L級のエンジンは存在しませんでした。これは日産も同様でした。トランスミッションには、トラック用のノンシンクロMTを採用し、高トルクのエンジンと合わせ、トラック由来の粘り強い走りを見せました。

全長3793mm×全幅1575mm×全高1900mmのボディサイズで、三菱・ジープと比べると全長は長く、全幅は狭いことが特徴。ドアを備えない組み立て式の幌を備えたオープンボディに、独立式のフロントフェンダーを備えるなど、ジープの影響は大きく受けていました。

1954年には、B型エンジンの後継となる「F型(直列6気筒OHV・3878cc)」を、消防ポンプ車専用に「FJJ型」として設定し、95psを発揮しました。
このF型エンジンは、以後ランドクルーザーに長年搭載され、3F-E型が1992年の80型までラインナップされました。

この年の6月、アメリカのウイリス社の商標権に「ジープ」が抵触するため「ランドクルーザー」に改称されました。現在、一つの車名で継続生産されている国産車としては、最も長い歴史を持っています。

翌1955年にフルモデルチェンジが実施され、2代目となるJ20/30型となりました。

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その後、高級装備を備えたステーションワゴンや、悪路走破性が高く世界各国に輸出が続けられているヘビー系、後にランドクルーザープラドとして発展するライト系など、様々な用途で高い評価を受け、世界的に有名な車種へと成長しました。

警察予備隊の入札に勝利した三菱・ジープは、その後も主に陸上自衛隊向けに供給し続け、パジェロの登場以後は車種整理を受けるも、2001年まで販売が続けられました。自衛隊車両は新型車へ切り替えられましたが、現在でも三菱車が採用され続けています。
一方で入札に敗れたトヨタでしたが、その後のランドクルーザーの活躍はジープの比ではなく、2019年にはシリーズの累計生産台数が1000万台を突破しています。世界に誇る日本の「ランクル」。その伝説的なクルマの始まりを振り返りました。

 

 

 

【諸元】

 

 

トヨタ・ランドクルーザー(初代BJ型)

全長×全幅×全高 3793mm×1575mm×1900mm
ホイールベース 2400mm
乗車定員 4名
エンジン B型 直列6気筒OHV 3386cc(85ps/3200rpm)
F型 直列6気筒OHV 3878cc(95ps/3000rpm)
駆動方式 4WD
トランスミッション 4MT
タイヤサイズ 6.00-16