【日産】ダットサン・フェアレデー(初代S210型)
日産の代表的なスポーツモデルに成長したフェアレディZ。1959年に誕生したダットサン・スポーツ1000がその原点で、ダットサン・フェアレデーの名を冠したのは1960年のこと。
国内では小型セダンでさえ夢の時代に、日産が送り出したスポーツモデルは、北米向けの輸出がターゲットでした。
【ダットサン・フェアレデー(初代S210型)の歴史】
フェアレディの前身となるダットサン・スポーツ1000(S211型)が最初に発表されたのは1957年の展示会。当時街を走るクルマと言えば、トラックやバスなどの商用車がほとんどで、乗用車は主にタクシー。初の大衆車と呼ばれるスバル・360(K111/212型)ですらデビュー前でした(1958年発売)。そんな時代に、オープンボディのスポーツモデルなんて高嶺の花のまた上の存在であり、もっぱら北米向けに計画されたクルマでした。
1958年10月の東京モーターショーに出品された生産型は、ダットサン・セダン(210型)やダットサン・トラック(220型)用のラダーフレームのシャシーを流用。エンジンも「C型(直列4気筒OHV・988cc)」を流用し、出力はわずか34ps。FRP製のボディを採用したことで、車両重量がセダンに比べて160kg軽い765kgとなったため、最高速度はセダンを25km/hも上回る115km/hを記録しました。
北米市場への輸出をスタートさせたばかりだった日産は、1959年3月のロサンゼルス輸入車ショーにもS211型を出品。日産(ダットサン)ブランドの看板として出品されたとされますが、小型サイズの4シーターオープンはそれまで存在しなかったため、一定の好評を得ました。そうして1959年6月に生産を開始しましたが、生産台数はわずか20台。ほとんどが北米で販売されました。
1960年1月、改良版であるダットサン・フェアレデー1200(SPL212型)を発表。エンジンは、1959年にデビューしていたブルーバード(初代310型)用の「E型(直列4気筒OHV・1189cc)」が搭載され、最高出力は48psとなりました。シフトレバーが短く操作性のいい、フロアシフトの4MTを採用。
ボディはFRP製から一般的なスチール製に変更となり、車両重量は885kgに増加しましたが、最高速度は132m/hまで達しました。
スタイルはS211型とほぼ同じで、当時の国産車としては非常に流麗でスタイリッシュなデザインを持つ、
ロングノーズ・ショートデッキの4シーターオープン。北米市場への輸出を見据え、左ハンドル仕様とされました。
10月には、エンジンが「E1型(直列4気筒OHV・1189cc)」に換装され、SPL213型となりました。60psにまでパワーアップし、最高速度は135km/hとほぼ変わらないものの、加速力が向上しました。
1962年には生産を終了。生産台数は525台とされており、まだまだ量販に成功したとは言えない状況でした。1962年10月には後継モデルとなるダットサン・フェアレディ1500が登場し、排気量を拡大しながら、モータースポーツでも活躍。少しずつ販売台数も伸ばし、フェアレディZへと系譜が続くことになります。
国内ではスポーツモデルなど夢のまた夢の時代に、将来性を見据えて北米向けに送り出されたフェアレディは、日本の近代スポーツモデル誕生の瞬間でした。
【諸元】
ダットサン・フェアレデー(初代S210型)
全長×全幅×全高 | 3936mm×1472mm×1407mm(ダットサン・スポーツ1000) |
4025mm×1475mm×1365mm(ダットサン・フェアレデー) | |
ホイールベース | 2220mm |
乗車定員 | 4名 |
エンジン | C型 直列4気筒OHV 988cc(34ps/4400rpm) |
E型 直列4気筒OHV 1189cc(48ps/4800rpm) | |
E1型 直列4気筒OHV 1189cc(60ps/5000rpm) | |
駆動方式 | FR |
トランスミッション | 4MT |
タイヤサイズ | 5.20-14 4P |